遅刻する人たち
スマホや携帯を持っていなかったはるか昔の人たちは「待ち合わせ」をどうやってしていたのだろうと、ふと疑問に思った。
ちょっと前だったらポケベルだったり、駅に伝言板があったりする。
でもそれよりさらに昔の日本で
「〇〇の場所に×時に集合」と言われた場合、自分はそこに辿りつけるのだろうか。
江戸時代を例にとって色々と調べてみることに。
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まず場所について。
待ち合わせ場所に行くには地図が必要ということで、古い日本の地図を見てみる。
すると、昔の地図は現在の地図のように「北」が上とは限らなかったみたい。
Google Earthのギャラリーにある1680年の江戸の古地図を見てみると「西」が上になっていた。
これは当時の日本の中心が天皇家の居所、ということに由来しているようで、
当時の天皇家の居所=京都。
江戸からすると京都は「西」にあったから、地図も西が上に来ているみたい。
その他、屏風なんかを見てみると富士山などのランドマークが上にあったりするものも。
近所で待ち合わせ場所を指定する際はランドマークを目印にした地図を用いて。
遠く離れた場所だと京都を中心とした地図を見ながら、その場所に向かっていた、ということだろうか。
方向音痴の人からしたら地獄・・・
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続いて時間について。
日本時計教会のHPによると、西暦671年に天智天皇が「漏刻」という水時計を使って時を知らせたのが初めてらしい。(詳細は不明とのこと)
江戸時代では、今のように1日24時間という計り方ではなく、1日を干支にちなんで十二支と昼夜に分け、それぞれを等分に分割する方法(不定時法)が主流だったようで、季節によって時間が変化するというとんでもない仕様。
こういった高価なものは庶民は持っていなかったので、
一日の節目(刻限)にお寺が鐘を鳴らしてくれて、それを目安にざっくり待ち合わせをしていたらしい。
ゆっくり人を待つという意味でも「茶屋」のようなちょっとしたお店は大事な存在だったんだな〜。
腕に時計を巻いて時間に拘束される現代人を見たら、当時の人々は何を思うんだろう。
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江戸末期、薩摩藩と土佐藩との間で大政奉還を目指した「薩土盟約」。
土佐藩の後藤象二郎が薩摩藩に10日後に会う約束をしていたにも関わらず、2ヶ月も遅刻したことで解消されたと言われている。
色々理由はあるだろうけど、2ヶ月遅刻はもう笑い話にもならないな〜
昔の人って色々とすごい。
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