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演出を考える ~曲作りとイメージの発想~

曲作りで必要になるのは、「音をどうつかまえるのか」。それにつきる。

作曲者の作ったもの、つまり他人の感覚をいかにとらえ、そして自分たちの形に練るか、というのも、一つのポイント。イメージすること、想像力、その手がかりになるひとつが、楽譜の「音の動き方」だったりします。

☆ カメラワーク という考え方

「鷹」(沢井忠夫 作曲)の講評のとき、顧問の先生がおっしゃったことで、すごく印象深く残った言葉がありました。

複数のカメラワークが曲の中に存在する」
「作曲者の視点での風景と、主役の鷹自身が見ている風景の二種類」

つまり、映像で言えば、主役を含めた全体を移すパンカメラと、主役の位置から見える光景を写す別のカメラ。2つの違うものが存在するよ、と。

これを聞いたとき、「あっ」と思ったんですよね。
その感覚は別の所で感じたことがあるぞと。

作者の作る世界観と主役視点での進行、これは小説の書き方と少し似ている気がします。地の文での説明(客観的)と、主人公の台詞で語られる主観での説明(なまの感触に近い感じ)と。
小説では、客観的描写と主観の台詞に距離(齟齬)を作ることでキャラの個性や深みやオドロキを作り出したりもしますね。
(が、曲の演奏ではそこまでの細かなニュアンスは伝えきれない、狙うのは無理があるw 曲作りではやらない方がいい)

先生からは、「カメラワークの違いに気づけたら、自然と場面の差や変化がついてくるはずなんだけど、そこをどう考える?」という提議でした。

ザワザワしましたよ、OB含めて。聴覚メインの感覚を感想として提供する場に、映像感覚の視点が持ち込まれたわけで。新しさに個人的には興奮しましたよね。すごいと思いました。

しかし、「じゃぁどうするの???」ってとこ。どこからそれを判断するのか?

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映像の「視点」

もう少しだけ「鷹」の話。この曲すごいんですよ。まじで。

「鷹」は私も昔やったので楽譜が家にあり、その後帰ってから引っ張り出して改めて見ました。

曲作りとしては「どこを・どう考えるか」、これが個々の奏者のオリジナリティにつながるので、あまり書かない方がいいんだろうなと思うのですけども。一つだけ、面白いなと思ったのが、「鷹目線での、離れていく地上との距離をどう描写しているか」。

あとで五線譜を入れる

箏は、絃が13本で、絃一本に対して一つの音が割り当てられています。
つまり、基本的に音は13個しか使えないのですね(左手を使えば半音一音上げはできる)。

全体的に見れば、音は下降していくんですよここ。同じ形(パターン)を繰り返して音が下がっていく場面。(続く場面も下がっていく傾向)
でも、私はこの場面は”気流に乗って上昇していく鷹の、ひと羽ばたきごとの景色の変化”だと思っていて。なぜなんだろうかと思ったんですね。自分の発想のモトがわからなかった。

「13音という限られた中で、限りなく上昇をしていく鷹を描くためには、どうするか?」という考え方に変えて気がついたのは。
ものが移動する場面を描く映像、おおざっぱに二通りあるな、と思ったのですよね。

①主人公がフレームアウトしていく形(=カメラが風景固定)
②背景がフレームアウトしていく形(=カメラが主役固定)

このふたつの中で、上記の音の並びは、②の方ではないかと思います。
羽ばたく鷹の固定は(♪~ソラ、ここだけ上昇の並び)、遠ざかっていく景色がタンタンタン。
上記の音の並びから考えると、物体の距離はそのまま「音の距離(開き方)」ではないかと。

ここは本当にこの解釈が正しいのか分からないけど、もし、の話。ですけど。
ベース、背景を下げていくことで、主役の上昇をイメージさせる。
音域の限界を表現で超えるという目的で、上昇の場面なのに、音を下げていくという手法を用い、遠ざかっていく地上の風景を描写、その描写と同時に、低音=音が太くなるのを力強さや生命力のイメージにまでつなげているとしたら。
イメージを映像表現に近い形で音に置き換えられているわけで、ほんとこの曲すごい。ひれ伏したい。

…という内容が2016年のブログ記事にありまして、自分でもよくここまで言葉にして残せたなと感心しました。(当時の記事から加筆修正しています)

まぁつまり、作曲って、多分意外と、映像とかに近い感じの部分もあるのかもなぁと。

*  *

さて「じゃぁどうする」ってとこですが。楽譜見て考えよう。笑

だけど、考えるってけっこう「あたまでっかち」になりがちじゃないですか。
音楽って、感性だけでは理解できない部分もあるので、理論を勉強するのも必要になるんですけど、考えても分かんないものはわっかんないもんね。
そういうときこそ「考えるな感じるんだ」ですよ。

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演出を考える=自分の身体から音を出すイメージ

楽譜の分析解析も必要なんですけど、イメージ、聴いた方がいいのかな。

私は曲を流してる間はインプットがメインになってしまって、思考が働きにくいので、聴きながら考えるということができないのですけども。
聴いて覚えた後に、指揮のように身体で「どこを膨らませるか、どこで収束させるか」をやるといいかなと。「歌う」ってのを身体でやってる感じ。うーんどっちかいうと、リズムでゆらゆらしながら軽く踊ってるのかも。

「音を音のままにしておかない感じ」というと、はぁ?ってなると思うんですけどw
楽譜を棒読み状態(=「練習曲みたい」って言われる時だいたいこんな感じ)だと、人の中まで入らないんですよね。下手な台詞回しと芝居ではかえって見る人を冷めさせる、そういう経験はあるんじゃないかな。
「自分ならどうする?」、というところを考えていくと、いわゆる「楽器から音を出すのではなく、身体から音が出ているように」というところへ近づいていける気がします。

もちろん、そこへいくまでには「余裕を持って曲をやれるようになる」のが前提になります。最初から合奏を「演&奏」にしようというのは無理と考えて、まずは崩さないように練習するのが一つ、それから、どのように形をつくるか、を考えて試行錯誤。ですよ。

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指揮でイメージをメンバーに伝える

微妙なフレーズの形や流れを説明するのには、実際に指揮者のように手・腕を使うといいかな。
音の大きさや強さ、形の角(かど)の立て具合、言葉で言いきれないタイミングや変更レベルまでを一気に伝えることができるので、便利。

指揮者のように、というと、オーケストラの指揮者をイメージするかもだけど、私が便利に使うのは、「くるくる(螺旋形)」です。
これは、OBのゐ先生がやってたのを見て覚えましたw

ベースは、小学校の合唱の時に先生がやってた基本のリズムの形です。

2拍子(6/8)=「∞」
3拍子=「△」
4拍子=「小」フレーズに合わせて適当

これをベースに、フレーズに合わせて、パターンの繰り返しは螺旋でとか。
強さは振りの激しさと大きさ、フレーズの膨らみは身体と腕の広がりで。
リズムの跳ね具合はポンポン、ゆるやかの時はなめらかに。ガッツリの時は、手刀でたたきつけるように。
ブレス、小節のかたまりの指示や気持ちの切替は、ひじを大きめに回す感じでやります。
意味分かんないね言葉で書こうとすると。合唱やってた人いるといいんだけど!わかるかな 笑

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音の動きをつかまえよう

音の動き方を、どのようにとらえ、どのように形にしようかと考えるのが、曲作りの第一歩かなと思うので。
楽譜を見て、パターンを解析する→そのパターンのバリエーションはどこで違いをつけているのか?に注目する、とか、してみると、いろいろ気がつくことが出てくるかも。

音の羅列のままで、楽譜を一行ずつなぞるだけの練習をしてると、曲にならないから、そこの「変換」をがんばろう。

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曲作り、毎年どうしたらいいかと相談されたので、たぶん一番大変というか「やりかた」そのものが分からない・残されていない、のだと思う。
曲により全然変わってくるので、毎年悩むのが当たり前になってると思うんですけども。

これについては、関連の記事をどうぞ。


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