目次に代えて

このノートは、他の文筆系創作者さんたちの方法を真似て、私の創作の「目次」を用意させていただくために投稿したものでした。
その内容を全消去させていただきます。
そのうえで、私がこのSNSを去った経緯の記述に代えさせていただきます。
勝手なことをして、本当に申し訳ありません。

これを除いて、私の最後のノートは以下のものでした。
https://note.mu/myoan/n/n475a3fc22db6

正直、もはや記憶も曖昧なところが多いのですが、ようするにPCが壊れたことが始まりでした。
修理に出した家電量販店によると「このメーカーの体制が思わしくなく、数ヶ月?かかることがある」という内容を告げられた次第でした。(もしかすると新機を買ったほうがいいですよと薦められていたのかもしれません・・・)
実際に、どれほどの時間がかかったのかはもう忘れています。
私はスマートフォン利用者ではなく、インターネットカフェなるところに行く習慣も持ってはいませんでした。
だからインターネットへの接続頻度は急減し、このSNSへの投稿も休眠状態とならざるを得ませんでした。
その期間の記憶です。

まず第一には、その間で創作の方法が変わってしまったことがあります。
二日に一作のペースからは離れてしまいました。
実は、作風も変わったと思っているのですが、この創作ペースの変化がより大きかった。SNSには合わなくなったと思ってしまったのですね。
決めつけがすぎるとお叱りを受けるかもしれませんが、帰ってはこれない変化だと思ってしまったのです。

そして第二に、これがさらに大きく決定的な出来事だったのですが、自分がクリエイターに近づいているのではないかと気づいたことの葛藤がありました。
不思議な言い方のように思われるかもしれません。
とても長くなりますが、説明させて下さい。

私にアイデンティティがあるなら、それは非クリエイターであるという自己認識だと思っています。これが、どうしても譲れなかった部分なのです。

ノートのコメント欄を利用して何度も書きましたが、私には、ある広告制作会社に勤めていた過去があります。
職種は社内管理であり、実際にはその殆どが経理事務です。朝から晩まで、一日中お金の計算をしていたのです。全く制作者ではありません。

制作者でないどころか、私には、クリエイターたちとの職業観の相違に悩まされ続けた記憶が多いです。。
会社も、そこに所属する社員も、少しでも上昇するためには、まず常識的な社会人であることが前提であり基本であると考えていました。
しかし、彼らクリエイターには、まずその所属をするという感覚からして欠如しているように思えたのです。話の通じる素地が最初からなかった。

もちろん、私も自分の関わった人たちのなかから、夢のスタークリエイター像の自己実現を果たす人が一人くらい出ていけないわけはないとも思ってはいました。
実際、比較的仲のいいクリエイター社員らには、そんな思いを打ち明け合ってもいたのです。
当時、やたらと語られていた、その世界の成功者像ですね。
つまり「ポケットからクシャクシャになった紙を取り出すと、そこにはまた実に下手くそな字で、しかし抜群のヘッドコピーが書いてある。その一行で千万円」ってやつ。(半分ウソ臭くて信じられないようなマンガの世界です・・・)

でも、同時に「そんなもん出ても一人だよね」などとも思っていました。
夢の物語りが現実になる確率は限りなく0に近い。その厳しさを、彼らは分かっていないと思っていました。
私の方が、より堅実であり、すなわちものをよく知っている人間のつもりでいたのです。

いや、私の先輩にあたるクリエイター社員たちを、少しも悪い人たちだなどと考えていたわけではありません。事実、みんなとてもいい人たちでした。
しかし、自分より年長の社会人でありながら、彼らには夢語りのような言い方ばかりが多い。
そういう人たちの中途退社が続出している現実が実に重々しかったのですが、自分に非があるわけじゃないという言い逃れを思っていたかったのかもしれません。

しかし、勤めが長くなれば時代は移ります。
私より若い社員が多くなるにつれ、悩みは形を変えて大きくなっていきました。
若い人たちは、性格のいい子たちばかりでした。
繰り返しになりますが、先輩たちの人柄が悪いと思っていたのではありません。ただ職業観に関しては頑固で偏狭なアクが強いように思え、私には何としてもそれが理解できる性格がなかったのです。
ともかく、自分より若く、素直で常識もある人たちであるにもかかわらず、苛烈な残業の果てに使い捨てにする状況だけは相変わらず続いている。またそれが先々良くなる見込みもないように思う。
そのことに耐えられなくなっていったのでした。

そもそも正しく思い出せば、色々と不幸な思いをして退社した人たちがクリエイターに限られていたわけでもありません。
非専門職の人たちだって同じだったのです。
それらのケースに自分が無関係でなかったどころか、反省と自責の念を持つべき振る舞いが多々あったこともあわせて、もっと早くから当然の問題意識を持ってしかるべきだったのです。

また、そうした日々に、母が病弱となっていった時期が重なってしまいます。
父は先に急な他界をしており、どうにも世話が必要であり、そんなことは知恵を働かせれば十分に乗り切れるものだったのでしょうが、私は暗愚なうえに母親にもワガママな性格は多く、そこから会社員として働いていくために必要な何かが崩れていくという悪い結果へ向かってしまったのです。

会社に退職を薦められる順番がついに回って来たとき、私以外にも同年齢層のクリエイターの多くがリストラ候補になっていることを知りました。管理側なので変な情報がわかるのです。
大手企業ではないので早期退職についての交換条件的な配慮など一切ありません。そんなことは、以前からずっとそうでした。
クリエイターたちは、全力でしがみついているように見えました。
何しろ時代は厳しかった。
一度離れたら、もう戻れる可能性は極端に低くなる。
勤めるしか生計の立てようのない者にとって、事務だろうと、制作者だろうと、非常に苦しい瀬戸際に立たされていることが明らかだったのです。

給料をいくら下げてもらってもいいから、一般職である自分だけは置いて欲しいと懇願すべきだったでしょうか。
しかし、私はそういう態度を見せませんでした。

当時のそういう世相を政治のせいにしようとする世の空気もありましたが、私には共感がなかったことを覚えています。
また後々まで、一部からは小泉総理大臣(当時)に諸悪の元凶があったなどとする批判の発言がくすぶりつづけているようにも思います。しかし、私には本当に少しも恨む考えなどありません。
自分自身の問題が全てであるという認識以外のものが持てないのです。

見栄を張るつもりはありません。
本当のことを書きます。
ゴネる気力も喪失していただけのことです。
抵抗しなかったというより、全く何もできなかったのです。
苦境に対処できず、先々の見通しを失うだけの非常に苦しく悲しい時期でした。
傷心だけを抱えて消えていったのです。

また、それが先輩後輩を問わず、自分より先に辞めていった人たちの苦痛や怒りと同じであったことも再確認しました。
私には、それらの人たちに対する謝罪の気持ちがありました。
もちろん、それは遅すぎましたし、また何の役にも立ちはしませんでしたけれども。

退職後、私は失業保険の受け取りをしませんでした。
何とか早期に社会復帰を成功させたい意気込みのつもりでしたが、今となってはこれも愚かだったでしょう。
実際、ついに私は正社員という社会的身分に戻ることができないままで今日に至っているのですから。

母が亡くなったのは、会社を去った二年後のことです。

母の最期の二年余りをよく看取ってあげられたことが、数少ない救いでしょうか。
けれども、やはり母は失職した私のことを情けなく思ってもいたでしょう。
私は、親不孝者でもあります。

母が亡くなったその後に、私には意外な内面の変化がありました。
私の半生で、もっとも不思議な経験でした。

文芸らしきものが書けるようになったのです。
書けることに気づいたという表現では正しくないように思います。実は、書こうと試みたことは何度かあったのです。
クリエイターに対する薄暗い対抗意識だったのでしょうか?
しかし、書けたことなど少しもない。一度もない。
書けないからといって劣等感はなかったのですが、ともかく自分には全く資質がないことに疑いがない思っていたくらいです。
それほど全く何も書けなったものが、急に何やら形にできるようになったのです。
これは大変不思議でした。

その後、このSNSの存在を知りました。
詩を書く場所なら、インターネット上に多くあるでしょう。
しかし、ここの利用者さんたちの空気には懐かしさがあったのです。

私は、正社員時代の自分を思い出しました。
決して、嫌なことばかりではなかったのです。

私は事務的に仕事をこなす。きっちり二日おきに投稿をする。それを事務職的創作方法だなどと言って理解されない。

一方の創作者さんたちは、やはり夢を追っているように見える。
有名創作者の話が好きで、業界の話が多くて、もちろん創作そのものについての方法等々も多く論じ合う。
みんな仲良しのようで、時々人間的なすれ違いも起こる。そして何より運営(会社で言えば経営層ですね)への批判がとても強い。
そもそも、創作以外の興味に重きを置く態度のビジネスマンが嫌いであるらしい。
私は、それを横目で見て、密かに悦に入っている。

私の、失われた正社員生活を擬似的に取り戻す営為だったのです。怒られるかもしれませんが、楽しかったです。

けれども、PCの修理中に、このSNSで起こったこは、そんな幸せな空間へと、また私が戻ることを思いとどまらせたのです。
全てが自分勝手な言い方とは承知しておりますが、もう少し書かせてください。

運営によく気に入られていると思われる有名アカウントさんがいました。
その方には、コメント欄の利用の仕方についての否定的と思える発言がありました。
コメント発言者によっては、もちろん悪意はなくても、しかし作者の創作的意図から離れた方向へと投稿の性格を引っ張っていってしまうことも少なくないといった内容だったと思います。

他のアカウントさんによる賛否両論もあったと思います。
それはいいんです。問題ありません。
というか、私は横目で見ているだけでしたから。
そういうクリエイター同士の論じ合う声を傍目に、利害の外であると決め込む態度で「自分には関係のないはなし・・・」と、ほくそ笑んでいただけなのですから。

けれども、その後に驚く展開があったことを確認したのです。
その意見が、どうやら運営によって認められたように推測できました。
おそらく問題を回避するための改善として、新たな制度が追加されたと知ったのです。
いや、その新制度自体も、実はどうでもいいのです。
その内容や、それが有料であるかどうかなども関係ありませんので説明は省略します。

問題は、私が明らかに怒りの感情を持ったことです。
いや、それは怒りというより「嫉妬」だと認めざるをえなかったのです。

無名アカウントである自分が、運営に影響力まで持っている有名アカウントであるその人を妬ましいと思ったのです。
クリエイターに嫉妬している自分は、もはや「SNS内の隠れ一般職従事者」ではありえません。
いつのまにか、自分がクリエイターに近づいているのではないか。彼らと同じ感情を持ってしまっているのではないのか。そういう危機感が迫ってきたのです。

このままじゃクリエイターになっちゃうよ。
あれほど対立していたクリエイターに。

それだけは許せないという思いが勝っていたのです。
かつてクリエイターの辛い気持ちに無理解であったことに謝罪の気持ちを持ったことは先に記したとおりです。しかし、それとはまた別の問題である認識でした。
そうなってはいけないとする感情を捨て切れませんでした。

さらに言えば、私の知っているクリエイターたちには、他人の成果を自分のことのように祝福してしまう、そんな笑うような純粋さがありましたが、私にはそんな理解不能な性格など絶対に持てそうもない。
感情の行き場が閉ざされたというか、これでは「いやあ、実は長いPC修理がやっと終わりまして・・・」などと笑いながら戻ることは出来ないと思ってしまったのです。

全く異様に説明が長くなりましたが、これがこのSNSを去った最も強い理由です。

馬鹿な人だ、変な奴だと思われるでしょう。
理解されないでしょう。
しかし、今はそれも本望です。
なぜなら、クリエイターと意識が通じ合わないことこそ、それまでの嘘のない自分の姿であったからです。
自分を失わずに済む。

私は、実は今でも書いています。
どこにも、投稿などはしていませんが。
光明に触れるあの感触を持ったら、やはり形づけなくてはいけない義務感のような何かが身について離れなくなってしまっているのです。

将来、それらを公開できる場所をまた見つけることがあるでしょうか。
そのとき、自分のことをどういう人間だと考えているでしょうか。

ひょっとして、ここに書いてある、クリエイターと対立する批判的な感情をついに否定しているかもしれないという予感もあります。

時代は、さらにどんどん変化していきます。
すでに、所属をすることが全体の利益の中から対価を受け取るための条件であるとする職業意識や制度は否定される方向に移っているかのようにも思えます。
それどころか、そういう古い価値観による説明は、逆に安い賃金で人を働かせようとするブラックな経営の論法として使われることが多いとする意見が強くなっている空気も感じます。

今となっては、結果として、彼らクリエイターの側に、部分的な正しさがあったのかもしれないと認めるべきでしょうか。
まだそうでなくても、将来はどう考えているでしょうか。

クリエイターに対して、このSNSで過ごした短い時間も含めて、私の半生が敗北したことの自覚を認めざるを得ない心境に至っているかもしれません。

しかしそれこそ、以前の自分のことを忘れて、創作者同士として、また誰かとどこかで出会うための最初の一歩であるのかもしれません。

終わりです。

最後にお礼を言わせてください。
みなさん、ありがとうございました。



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