衆生世間

エネルギーと心の似ている点。
三次元の大きさが感じられない。
「まとわりついている」ように見える。

釈尊は「まとわりつくものが衆生である。」と述べたらしいですが、私はたった今のいままで「衆生世間」生き物の世間が、何なのか把握できませんでした。若しかすると、衆生「生きとし生けるもの」に見えていたのは、エネルギーなのかも知れないと思います。
私たちの身体は、諸々の物質とエネルギーの因縁仮和合と言っていいかもしれないと思います。
太古の海の中で、物質、成分がグルグル動いていて、因縁の力によって、整理統廃合され、アメーバに成った。それは単細胞生物だけれども、分裂して複製を作っていく。クラゲの中には寿命がとても、ながいのもいます。
妙法経力は、この因縁の力なのかも知れないと思います。
私たちは衆生と言うと、命あるものと植物を言うのだろうと思います。釈迦の時代にエネルギーは認識されていないと思いますから「まとわりつくものが衆生」は微妙に、間違っているのかも知れません。だからといって仏の知恵を、軽く見ていいかと言うと、そんなことはない、三七の21日間に降った、雨粒の数を、数えることができる(経文にはどんな表現なのだろうか?)仏智は重んじた方がよいと考えます。

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