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理解のある彼くん

最近ではTwitterのフォロワーさんや飲み屋のお客さんだけでなく、タグやオススメなんかで私のページまで飛んできてメンヘラ臭漂う香ばしい駄文の読者がちょっとずつ増えてきているのではっきり言うが、文章でもよく出てくる通り私には恋人がいる。ただTwitterでよくある「こころがダメになってしまったこんな私にも、理解のある彼くんのおかげでここまでこれました」系のエッセイに対するイジリのような感想を抱かれながら読まれるのは不愉快極まりないので、今日はそのことについて書こうと思う。

結論から言うと努力もせずに理解のある彼くんとやらを手に入れることなんて不可能だ。私は理解のある彼くんを手に入れるために、お願いして精神科に着いてきてもらったり、薬の管理や私のストレッサーになるような言動を控えてもらったり、時には交換ノートという形を取って文字やイラストで感情を伝えたりした。黙っていても伝わるなんて考えず、できる限り何かしらの形で表現している。それが私にとっての努力だ。その努力を恋人が認めてくれているからこそ、私の弱いところやダメな部分を受け入れ支えてくれるし、助けてもくれる。もう一度言うが理解のある彼くんというものはそう簡単に手に入れられるものじゃない。本当に大変なんだ。自分の弱いところ恥ずかしいところを見せないといけないから。でもそれと同時に私は理解のある彼くんにとって理解のある彼女ちゃんになろうと日々頑張っているつもりだ。だからこの関係が成り立っている。そもそも何かしらが欠如していたり劣っている部分のある人間を無条件に好いてくれて理解し支えようとしてくれる都合のいい人間なんて居やしない。人間そんなに暇じゃないので。

それでもまだ疎ましいだとか妬ましいだとか思うのなら自分を理解してもらおうとする努力不足なんだと思う。社会という不条理ばかりな場所で生き抜くために必要なものが欠如している人間は、誰かの助けを借りないと人並みに生きれないことを速やかに認めるべきだ。

理解されるべき相手は彼くんじゃなくたっていい。私はたまたま理解してくれる人が恋人だったけれど、理解して欲しいと努力をすれば理解してくれる人は居るし、手を差し伸べて、更には支えてくれる人も中には居る。残念なことに全ての人間が聖人君主のような人間ではないので当たり外れはあるかもしれないが、SOS信号を出し続ければ応答してくれる人は必ずいる。心の拠り所になる場所を見つけられない妬み嫉みで人を叩く暇があるんなら、適当な飲み屋に入って店員に酒の一杯でもご馳走し話を聞いて貰えばいい。理解のある彼くんは言い替えれば自分の安全基地だ。君がもう実家を出て仕事をし自分の給料で生活をしているのなら、自分が自分でいられるような安心出来る場所は自分の手でつくる(探す)べきだし、それが出来ないのなら残念ながら君はまだお子ちゃまだ。無償の愛をくれた母親からいつまでも離れられないお子ちゃま。

私は自分の手で人生を選択し自分の手で安全基地をつくってきた。理解のある彼くん?ふふん、羨ましいだろう。私は恋人以外にも理解のある友人、理解のあるお客さん、理解のある場所、安全基地がたくさんある。

もしこの文章を読んでいるのが家に居場所がなくて生きるのにつらさを感じている未成年の子なら一つ教えてあげよう。未成年で親に養われてるうちは、子供にとって家を安全基地にするのが親の一番の努めだ。君を勝手に産み落とした責任は重い。居心地が悪い場所に無理に留まる必要なんて全くない。我慢してこころが壊れるくらいなら、然るべきところに助けを求めるべきだ。ただし然るべき場所は自分で調べて自分で決めなければならない。更にはその選択の責任は自分で負うことになる。然るべき場所がわからないのなら人に聞けばいい。人がいないならネットで調べればいい。方法はいくらだってある。最善の選択をするためにありとあらゆる手段を使うんだ。自分の人生は自分のものなのだから。

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