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おれの浪人時代

二連続の番外編~~~重いこと書く気が起きないのでまたツイート感覚で書くよ
こういうのはインスタに書けよと思わせてしまったらごめんなんだけど、インスタに長文の投稿する勇気がない 知らない人に名前伏せて書きたいこと発散する方がいい…という

ばーーーーーって勢いに任せて書いた!(言い方バカっぽ…)
日本語に自信がない 推敲ほぼしてない 構成の自信ゼロ 注意


おれの浪人時代について!!!
学生時代で一番楽しかった ほ~~~んとに楽しかった

浪人って病むイメージあるけどほとんど病まなかったよ 私の場合は運がよかったんだろうなって思うけど

楽しかった理由は大きく分けてふたつ
・友達がいっぱいできた
・勉強がうまくいってた


1.友達系

学校より予備校の方が楽だと思える特に大きな要素があったので、私みたいな浪人最高だったァな人も一定数いると思うの

それが「人間同士でもめることがほとんどない」

この理由は二つあると思ってて
①運動会、文化祭みたいな、学校特有のイベントがない
②みんな勉強を最優先に生活する

おれが病む原因ってだいたい人間関係なので、人間同士のいざこざの種になりやすい文化祭とか運動会がなかったのは本当にでかかった
あとみんな浪人だから勉強を最優先にしてて、もめ事を意識的に避けるから、だいたい仲良くやれる 

あとおれは勉強以外に自分のリソースを割きたくなかったから、浪人生活を送るうえで気を付けてたことがあった

それが「依存するコミュニティの分散」

一年間も通ってれば予備校内で友達のグループができる
おれはいくつものグループに入れさせてもらってた どこかのグループがもめたときに他のグループに逃げたいから
それで巻き込まれるのを回避してた

考えるとみんなそれなりにいざこざあったのかな、おれが逃げてただけで()

おれが通ってたのは小さい予備校、で受験生が150人くらいしかいなかったんだけど、たぶん30~40人と仲良くなった 廊下に出るたびに誰かしらの知り合いとすれ違って手振ってた記憶ある…やば

ここでおれが仲良くなったコミュニティについて書くよ

一つ目が「国立理系勢」
予備校は高校時代から通ってて、高校から近いところにしてたから、浪人時から入ってきた高校同期も何人か(全員男の子)いたし、現役の時に予備校で仲良くなった友達(女の子1人)が一緒に浪人したりで、元からの知り合いがそれなりにいた。
彼らはたまたまみんな国立理系大を目指してて、同じクラスになった(俺が目指してたのは私立文系ですってこのタイミングで言うとおれの雑魚感スゴイ~~~有名なところなので許してくださいって誰に言ってるんだろう)
現役時代から予備校で仲よくしてた女の子は同じ国立大学を目指す子たちとつるむようになって、おれはその子経由で国立理系大志望の女の子たちと仲良くなって、グループみたいな感じになった!これが予備校で一番最初のグループだったと思う、嬉しかったあ
その様子を見てた男子たちが「俺らも同じクラスの女子たち(↑の女子たち)と仲良くなりたいんだけどつないでくれない?」って私に頼んできたの今考えるとちょっと草
そんな感じで国立理系クラスの面々を中心とした10人くらいのグループができた


二つ目は「クラスメイト」
国立理系クラスがあったように、おれも私立文系クラスに所属していた。
当時のおれはmiwaのガチオタク(なかなかレアよな)だったんだけど、たまたまクラスメイトの一人がおれを超えたmiwa好きだと知って仲良くなった(のちに付き合いました)(とっくに別れました)
クラスの担任が毎週開いてた謎のクラス交流イベントもあって、気づいたらクラスメイトとも仲良くなった
志望大学ごとの出題形式とか傾向で、授業がクラス単位に近い感じだった(というのは授業によっては他クラスの授業を受けることもできた)から、授業の合間に笑いあったり授業後に一緒に帰れる友達ができて嬉しかったなあ


三つ目は「他クラスの私立文系勢」
「私立文系」と一口に言ってもいろんなレベルの大学があり、おれの予備校では3クラスあった。 おれのクラスメイトの中学の友達が、他の私立文系クラスにいて、おれもたまに授業がかぶったりして、そのクラスメイトを通して関わるようになったんだけど、その他クラスの子も別でクラスに友達を作っていて、そっちの子とも仲良くなった
結果、
おれ・おれのクラスメイト(女)・その子の中学の友達(女)・この中学の友達のクラスメイト(女)
のグループができた。


四つ目は「現役高校生たち」
おれは日本史選択だったんだけど、授業によっては現役高校生と一緒に受講してた
日本史の先生が出してくれる課題に取り組んでたのがおれと一部のJKしかいなくて、添削してもらいに職員室にいくと鉢合わせることが何度か会って仲良くなった


こんな感じで友達の輪がいろんな方向に広がった結果、一年でたぶん40人くらいと仲良くなった グループだけじゃなくて個人で仲良くなった子もたくさんいた ありがたい限り、、、そのほとんどに会えてない、おれのLINEが受験直後に初期化しちゃったから連絡先わからない、、、みんな今どうしてるんだろう



2.勉強系

自分で言うのもなんだけど勉強だいぶうまくいってました 第一志望には落ちたけどあらゆることで後悔ないくらい頑張ってました

勉強で気を付けてたのは
①ひとつひとつの講義を無駄にしない
②いろんな人の言うことに惑わされない
③息抜きを欠かさない、毎回ちゃんと気分転換する

①について
・講義は必ず一番前に座る
…前の席の人で黒板がえない、とかの集中が乱される要素をなくすため
…寝ないため、自分を追い込むため
…シンプルに先生たちみんな好きだった
・必ず復習する、わからないところは講義ごとにまとめて先生に聞く
…毎回の講義内容をなるべく早く復習用のノートにまとめ直す(先生が黒板に書かないで喋っただけのこともメモしてたから授業用ノートが汚かったのもあり…)
…わからないところがなくなるまで先生に質問する
…復習ノートを定期的に見返して反復、理解できているか確認

②について
・あえて各科目の先生一人ずつの講義しかとらない、ただしその先生の講義は全部受講する
…先生ごとに言うことが違うため、自分が偏差値を上げるために一番必要だと思った先生にのみついていく、という形で各科目に取り組んでいた
(そしたらその先生たちからすっごくかわいがってもらえた)
・講義以外の勉強の相談もその先生たちだけにしかしない
…各科目において自分の勉強の進捗を一番理解している人に話を聞くのが手っ取り早いと考えたから

③について
・友達をたくさん作った
…さっき書いたように依存先を分散するため
…一休みしたいときに、自分の友達が同じタイミングで一休みしてる確率を上げるため(一休みしてる人同士で話せるのが一番気分転換しやすかった)(たくさん友達がいれば誰かしら休憩のタイミングかぶるだろうという)(日本語下手すぎるけど伝われ)


という感じ。

朝は毎朝必ず8時半までに着くように家を出た。
40分満員電車に揺られながら英単語帳を眺めた。
授業を最前列で受けて、
授業中の小休憩は、短い時間なのに友達と喋って大笑いしてた記憶がある しっかり気分転換できた
授業後は授業の復習、前の授業内容を見返したり、語句を辞書で調べたりして整理。わからないところをすべて洗い出した
それができたら先生の所に質問しに行った(ついてくって決めた先生たちの出勤日と出勤時間を全部把握してた)
気づいたら3科目しか勉強してないのに1日2回は職員室に行ってた 小さい予備校で生徒やスタッフさんが少ないのもあって、スタッフさんとも仲良くなったし、職員室に顔を出すたびに「あら、今度は○○先生かな?」って要件がばれるし(それはそう)。自習中に気分転換したいときはスタッフさんにところにおしゃべりしに行くこともあった
あとは、先生が作るテキストの内容に緑の消せるペン(赤シート被せると見えなくなるアレ)をひきまくって暗記した 志望大学がマニアックな問題を多く出してくるのもあって、細かい部分まで何周もした 先生が出してくれる課題にもすべて取り組んだ
昼休みはあえて勉強に手をつけず、いろんな友達と昼ご飯を食べて気分転換する時間にしてた。みんな浪人生だからSNSとか全然見ないし、毎日予備校に籠ってるからテレビも見ないから新しい話題なんてほとんど生まれてこなくて、毎日同じようなことしか話してないのに、なんかみんなでゲラゲラ笑ってた あの瞬間が一番幸せだったまであるよ本当に
食後は眠いから15分突っ伏して寝てた。笑 頭がリセットされる感覚があって、仮眠後の寝起きの瞬間が結構好きだった
その日の授業が全部終わっても、予備校が閉まる21時まで自習室に籠って勉強した そんで、同じように最後まで残ってる友達と帰った どのグループの子たちと帰るかは、自習室の席がたまたま近くになった子のグループとか、時には約束したりとか、日によって違った どのグループもおれが自由にやることを受け入れてくれたから、どこも居心地がよかった
帰りの電車ではまた英単語帳を眺めた。帰りは座りたくて、鈍行列車で一時間近く揺られながら暗記してた日もあった

今振り返っても思うけど、あの一年は本当によく頑張った 友達のおかげもあって、折れずに勉強を毎日10時間とか11時間する生活を一年間続けることができた
切磋琢磨して、時には大笑いして、模試の結果が悪かったときには励ましあって、友達の存在が勉強を頑張るモチベーションになってた。たまに自習の休憩中に廊下で喋りすぎて怒られたこともあったけど笑


こういう勉強や生活のスタイル(?)をとっていたのは、直感で「こういうやり方をすればうまくいく!」っていうビジョンが現役時代の受験直前にはっきり見えてしまったから

高校3年生の時に勉強法を模索してて(もっと早くからやれよという感じだが)、しっくりくる方法がなかなか見つからなかったんだけど、
勉強がうまくいってる子と関わってみたり、成功した高校受験の時の勉強法を思い出してみたりしてたら、センター試験直前だったかそれくらいのタイミングで、ある日突然ぶわあ!!って見えちゃって。これだ!っていう直感のままに進んだら本当にうまくいっちゃって
9月の段階で、
授業ごとの予習課題(いろんな大学の過去問にでた大問や小問が出題形式ごとにまとまってる、書店の問題集によくあるようなやつ)もすらすら解けて、
赤本は常に合格点に達していて、
4月にはE判定だった模試でB判定を出し、
勉強自体はまだ足りないけどあと5か月あるし、この調子で頑張れば受かるだろう、と先生やスタッフさんから言ってもらえるようになった
今思い返せば、これが罠だったかも 未熟だった俺は、先生が合否を決めるわけでもないのに数々の言葉で期待しちゃった
それでも勉強で力を抜くことはしなかった このままやれば受かる可能性が出てきたけどやらなかったら落ちるし、気は抜けないって、引き続き頑張って勉強してた

12月ごろにスランプを乗り越えたあとは、さらに上り調子になった
どれくらい上り調子かというと、慶応大学の過去問で常に9割を叩き出していた(慶応志望でした)
先生の一人に、東大目指しとけばよかったのに~とか言われたほど…


本番、センター試験や一般試験でMARCHに余裕の合格、滑り止めもしっかり確保した
(センター試験でインフルを移されたこと以外は完璧でした やぶ医者にかかってしまって二週間も寝込んだの痛すぎて草)

だけど、慶応の手応え、めちゃくちゃあった もしかしたら、と思った
日本史の論述もちゃんと書けた 英語も時間内に見直せた 小論文もちゃんと書ききった、内容にもそれなりの自信があった

結果は
「補欠C」

補欠というのは大体A~Hくらいまでランクがあって、他の大学に入るとかで入学手続きをしない合格者がいて欠員が発生した時にAから順に優先的に繰り上げ合格になるというもの。
今流行ってるSPY×FAMILYのアーニャの入試結果のやつです、あれです

ここから一か月が浪人時代で一番つらかったかもしれない スランプで毎日泣いてた時よりつらかったと思う

いつ合否が決まるかわからないので毎日ネットで繰り上げ状況をチェックしなければならないのがまず嫌だし、
合格発表から2週間、3月上旬の段階でA,Bランクが繰り上がってて、もう少し欠員が出たらCも繰り上げに、というところで繰り上げに動きがなくなったのとかますます嫌だし(情緒不安定でたくさん泣いた)、
結果的に、3月23日の19時半まで約1ヶ月も待って(親子共々憔悴しきってた)、繰り上げ可能性がなくなったのはもっと嫌だった

落ちました、補欠待ちが何よりつらかった あと1ランク、すなわちあと1点かそれ未満で合格でした


当時は親子で悔しい~~~~!!!!ってずーーーーっと言ってた笑 当時、政府が都内の私立大学の学生数を減らすよう各大学に要請出してて、その影響をもろに受けてしまったから余計に。笑

とはいっても、もちろんこの結果は政府でも環境のせいでもなく、おれの努力不足のせいなんだけど、自分ができる最大限の努力はしたからなあ、受験勉強を早くから始めればよかったんだろうけど、でも高校では遊ぶって決めてたしなあ、仕方ないかあ、という気持ち

毎日持ち歩いてぼろっぼろになった英単語帳も、赤シートで消せるペンの緑色に染まったぼろぼろのテキストも大切な勲章
結果には(あと1点という部分で)少ししか現れなかったけど、少しでも結果が目に見える形で出たことが今では嬉しいし、学生時代で一番頑張ったって自信を持って言える 悔いはない


今では滑り止めの大学で過ごせてよかったと思ってます。そこで出会えた大事な友人たちのおかげで。
あの予備校で浪人してよかった たくさんの友達ができて、笑いあって、励ましあって、私にとっては本当に青春だった 幸せだったなあ


っていう一人でエモに浸る振り返りブログでした

おわり

アーニャの話を出したのでこないだ模写したアーニャを載っけました

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