正しい成功体験
慌ただしかった年末年始が過ぎ去り、社会はすっかり平常運転に戻った。2022年に新しい目標を打ち立てた方は、その達成に向けて邁進していることだろう。
最近の僕はというと、家に眠っていたペン字練習帳を引っ張り出し、美しい文字を書けるよう精進しているところだ。やるべきこと、やらなければならないことは他にもっとあるはずなのだが、かねてから字の不格好さにコンプレックスを抱いていたため、この機に克服しようと思い立ったのである。
練習を開始して2週間ほどになるが、開始前と今では明らかに差ができている。まだまだ美文字というには程遠いが、ペンの持ち方や姿勢を意識して書き取りを積み重ねるだけで日に日に効果が実感できている。
毎日決まった量の練習が続いているのは、怠け者の僕にとっては稀有なことだ。これはひとえに「成果が目に見える」からだろう。できるようになるから、今日も引き続き頑張ろう、そう思えるのはモチベーションの低下を防ぐことに繋がっている。
思えばここまで、努力を継続して行ったことのない人生であった。学生の時分は必死に勉強をした記憶がない。まったく取り組まなかったとは言わないが、他人に比べるとその量は明らかに少なかった。僕が唯一やってきたスポーツである野球も、毎日素振りや筋トレを欠かさなかった、などということはなく、結果として大したことのない選手に終わってしまった。
僕の意志が弱い、と言ってしまえばそれまでである。しかし、今やっているペン字練習のように、努力が正当に実る経験を重ねていれば、頑張ることに対する苦手意識はなかったのかもしれない。
小学生の頃は、熱心にやらなくても勉強ができたし、野球を始めた当初は、少し動きが良くなっただけで褒められていた。その成功体験を「努力しなくても大丈夫」と解釈してしまい、それを引きずって生きてしまってきたのだ。もう頭も身体もとっくに通用しなくなっているというのに、である。
また、本来は「失敗寄り」の事象であっても、なんとかなってしまったばかりに成功体験として認知してしまうこともある。例えば、人との待ち合わせなどで、身だしなみチェックもそこそこに家を飛び出し、駆け足でようやく間に合ったとしても、「間に合った」という事実だけを解釈して反省を怠る、などがある。こういったものは、大きい失敗を犯してようやく本気で気づくものなのだろうが、できるだけそうはならないように、普段から反省を繰り返して生きていく必要があるかもしれない。
話は現在に戻り、僕は、僕という人間を22年やってきて、小さいながらもようやく正しい成功体験を積み上げようとしている。来年の年賀状には、今年よりも美しい文字をお届けできるよう努力したい。また、生活におけるその他の行動についても、コツコツと積み重ねる習慣をつけたいと思っている。
このnoteにおいて、少しでも皆様に良い報告ができると良いが……。
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