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〈リクエスト〉狙女

 リクエスト企画、ひとまず最終回である。本当はもうひとつ頂いたタイトルがあるのだが、それに関しては現時点で書けることが少なく、また情報収集が必要なものであるため、一旦保留とする。このままお蔵入りにするつもりは全くないので、提示してくれた友人には気長に待ってもらいたいと思う。

  

 狙女。「ソジョ」と読む。お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰がラジオ番組内で彼女(のちの奥様)のことを「狙ってる女」と表していた(世間に隠しているという設定だったが、放送を聴いていれば付き合っているのは明白だった)のを、相方の若林正恭が略した言葉だ。この言葉は、春日と同じ用法、つまり「彼女」の言い換えで使用される場合と、本当に「狙っている女性」を指す場合がある。どちらにせよリトルトゥース(オードリーのオールナイトニッポンのリスナー)の内輪ネタに変わりはない。


 女性を「狙う」というのはいささか失礼で乱暴な物言いに思われるかもしれない。春日のようなスターがエンターテインメントとして言うのはともかく、僕のような半端な一般人が日常で使うのは適切ではない。が、今回はタイトルの二文字でリクエストを頂いたので、便宜上、「狙う」「狙っている」という表現を文中に使うこととする。女性を軽く見ているわけではなく、「お近づきになりたいと思う」程度に読み替えていただけるとありがたい。



 さて、ただ『狙女』について書け、と言われても範囲が広い。現時点で僕がお慕いしている方のことか、過去に出会った様々な方のことか、書こうと思えば色々なことが書ける。普段から自分と女性の間の出来事や思考をよく書いているので、その手の話題は得意分野だ。

 前者について書け……というのはリスクが高すぎる。付き合ってもいない男からの一方的で粘着質な惚気文章を読まれてしまった日には、すべての連絡手段を遮断され、二度と関わることが許されなくなるだろう。

 後者についても、誰から書けばいいのか、どんなエピソードを——大半はろくでもない話だが——書いていけばいいのか、どうにも方向性を付けづらいものだ。


 従って、現在と過去、この2つをバランスよく書き連ねていきたいと思う。現在のかたを僕から過去の女性と比較する、という失礼千万な意味ではない。僕がその都度女性とどう向き合ってきたか、という話だ。興味ねえよ!という方も居るかもしれないが、お付き合いいただきたい。


 本題に入るまでに1000字も費やしてしまったが、ここからがメインテーマである。何か結論を出すわけではないが、僕の『現状』だ。





 そもそも、何故『狙女』という概念が僕の中に存在するのか。僕にとって『狙女』とは何なのか。仲良く遊んだりするならば何も交際する必要はないし、倫理的にどうかは別として、性的欲求を満たすことも恋愛関係が無くても達成できる。にもかかわらず僕は何故、意中の女性を彼女にしたいと絶叫するのだろうか。その感情はどこからやってくるのか。


 この問いに対する答えはひとつではない。過去に書いた内容と重なる部分では、「不安定な僕と共に戦ってほしい」「僕が生きていても良い積極的な理由であってほしい」等がある。依存する気満々だ。真剣さの裏返しといえば聞こえはいいが、お相手にとってみれば重みと湿度の苦しさの方が先に来ることだろう。

 もうひとつ、「相手にとって特別に頼れる存在でありたい」というのがある。旧態依然な男性像かもしれないが、僕は、男たるもの愛する女性を守り抜くもの、という固定観念にも似た思いを持っている。困っていたり苦しんでいるところに僕が颯爽と現れ、窮地から救い出す。そんなスーパーヒーローのような存在になりたいと思っている。その為に過酷なトレーニングを積んでいる、という訳ではないのが僕の薄っぺらい部分なのだが……。


 自己肯定のようで恐縮だが、僕は知人からの頼み事は可能な限り断らないようにしている。断れないのではなく、喜んで受けさせてもらっている。一人暮らしで近所にも似た生活の友人が多かった大学時代に比べるとそういったシチュエーションそのものが減っているが、僕は、頼ってもらえることがとても嬉しいのだ。

 その精神性を否定されるいわれも、自ら無くしてしまうつもりもないが、問題はある。「善意の押しつけ」である。僕が良かれと思った行動も、度が過ぎれば、求められていなければ、効果を発揮しないどころかかえって相手の負担となってしまう。

 大学時代に、好意を抱いていた女性がSNSに風邪気味と書いていたのを見た僕は、講義の合間にドラッグストアまで自転車を飛ばし、風邪薬を買って大学に戻り、彼女に手渡したことがある。別の時期には、LINEでやり取りをしていた女性に、家に何もなくて空腹という話をされるとコンビニでおにぎりを買って届けたこともある。

 当時は、本当にそれが良いことだと思っていた。彼女たちのためになることだと、喜ばれることだと、本気で思っていた。こういった誠実さを見せることで、好印象を持ってもらえると信じて疑わなかった。あれから3年が経ち、18,9歳だった僕が如何に何も見えていなかったかを痛感している。ただの同級生がそこまで、頼んでもないのに行動するのは、感謝よりも気味の悪さが勝つだろう。『狙女』さんは人格者であったため、僕に感謝の言葉を伝えてくれたが、実際どう思っていたかは想像に難くない。


 現在僕が好意を持っている『狙女』さんも、僕が彼女を思って何かをすることを決して喜ばないだろう、と推測している。ご時世や環境もあり、会って話すよりもSNS上での繋がりの方が圧倒的に多く、その中で、うまく言語化できないが、スーパーヒーローを求めていないような気がするのだ。そもそも僕がヒーローではないから前提として破綻しているが、彼女にとって異性(彼氏)とは、「何かする/される」というものではない、のかもしれない。僕はまだまだ彼女のことを知らない点も多いので、僕の勝手な推測だが。

 そもそも、理想は『狙女』さんが嫌な目に遭わない、遭いそうにもならないことであるはずだ。「僕が救いたい」という欲求は独りよがりだ。勝手にそんなことを想像する暇があるならば、人格や身体能力を磨く方がいくらか有意義である。じゃあなんでそれをやらないの?と問われると、やはり僕は手間をかけずに、楽をして信頼と愛情を得たいのだろう。救いようがない。石油王になって、過去全ての『狙女』さんに匿名で寄付をしたい、などとほざくのが関の山だ。



 『狙女』が発生するメカニズムは先ほど説明した。では、数多の女性の中から何が対象の方を『狙女』たらしめるのか。

 これは、大変申し訳ないが、全くもって言語化できない。何に惹かれたのか、何が僕を釘付けにするのか。中学からカウントしても様々な方に熱を上げてきたが、全く傾向が掴めない。好みのタイプを聞かれた場合は石川佳純選手や本田翼さんを挙げさせていただいているが、それはあくまでも画面で見た時であり、現実で心奪われる方の顔の系統がそのようなタイプばかりかと言われると全くそうではないのだ。


 共通点としては、「いつ」惹かれたかがはっきりと思い出せるというのがある。初めて会話を交わした時に心に電流が走ったこともあれば、言葉を紡ぎ合う過程でみるみるうちに虜になっている場合もある。明確にここだ、という瞬間が存在するのだ。

 もちろん、顔を見たファーストインプレッションで「美しい!」と思うこともままあるが、いくらなんでもそれだけで「よし、狙おう」となるほど僕は簡単ではない。女性に対してフラフラしていると言われることのある僕だが、この点に関してはきちんと反論しておきたい。僕はかなり会話を重視する人間である。それでも、前述の通り少し会話しただけで惹かれる場合もあるので、フラフラしているという指摘に真っ向からは言い返せないのだが。


 この、半ば衝動的な狙いの定め方には問題点がいくつも存在する。まず、大抵の感情が僕からの一方通行であることだ。圧倒的なルックスや落ち着きをしていないので、こちらが感情を抱いた時点で相手から意識されている可能性は皆無に等しい。女性から好意を示された経験は幼稚園で最後である。

 それは大抵の恋愛がそうであるから仕方ないとしても、僕は感情を隠すのが非常に苦手である。友人曰く「目と口元に出る」らしく、好意も憎悪も邪念も筒抜けになっていることが多い。想いを伝えるまでに築くべき土台を上手に形成できず、破綻した関係もいくつもある。得てして女性にとって「対象外の存在からの好意」ほど不必要で気持ちの悪いものはないらしい。


 もっと問題なのが、この惚れ方は「相手の状態を考慮できない」のだ。相手が異性に、交際に対してどんな考え方をしていて、今どんな関係を望んでいるのかを知る前に、好きになってしまっている。仮に『狙女』になった後にその方に既に彼氏が居ることが判明した場合、要らぬショックを受けることになる。そういう性癖の方を除いて、既に相手の居る方を狙うことが無い大半の方は受けずに済むショックだ。僕はいわゆる寝取りが好きではないし、それが出来るほどのオスとしての実力もない。

 そして、厄介なことに、僕は好きになった方を好きでなくなることが出来ない。接する量と質が増していくにつれ、想像と違うことや勝手にガッカリすることはあっても、好きでなくなる、ということは今までに無い。お相手を僕の良いように解釈してしまっているのかもしれないが、その女性にのめり込んでしまったら戻れなくなるのだ。恋は盲目、という言葉があるが、僕の場合一度見えなくなったものが再び光を取り戻すことはない。

 中学2年の頃の初恋(と、僕は定義している)から8年、様々な女性と接し、何人もの女性を「狙って」きたが、何かアクションを起こすかは別として、過去の皆様に対する当時の自分の想いを否定したことも、ましてやその女性を憎んだり恨んだりしたことも一度もない。その当時の行動そのものは、批判されてしかるべきものも自分で忘れ去りたいものもあるが、好きでいた、という気持ちを無かったことにはできない。

 仮に、過去の『狙女』さんから連絡が来て、良い仲になれそうならば、僕はそちらになびいてしまうかもしれない。有り得ない話であるし、むしろ僕が騙されそうになっていると思った方が良いが。

 これが僕に彼女の居る状態だったならば、絶対にそんな不義理は働かない。僕の意志薄弱さを見てしまうと信用ならないのも無理はないが、誠実でありたいと思っている人間である。人生で彼女の居た時期が短すぎてあまり参考にならない、と言われてしまうと何も言い返せないのだが……。


 

 また、もうすぐ22歳を迎える身として、無為に時間を経過させてはいけないという自覚もある。僕個人の人生については己が勝手に責任を取ればいい話だが、他人の人生にまで責任は取れない。ほんの微々たるものかもしれないが、僕と深く接することで、お相手の人生に悪影響を及ぼす可能性が高い。少なくとも、僕のような調子乗りの根暗に学ぶところは無い。

  同世代、または少し年上や年下の方と関係を構築するには僕は幼すぎると感じている。見た目は年相応……むしろ上に見えるくらいなのだが、精神性が中学生のようだ。


 ここまで、『狙女』という存在について書いてきた。人を好きになること自体は良くある話だが、では、僕はなぜ『狙女』と上手く行かないのか。既にお相手がいた、など僕の力でどうにもならないケースも存在したが、もっと根本的なところに問題がある。僕自身に、「狙い」を完遂できない原因が存在する。


 人と接するということは、必ずしも互いの思う通りになるとは限らず、傷つき傷つけることだってあり得るものだと思っている。僕が不器用なだけかもしれないが、特に異性相手にはより繊細な気遣いが必要だ。男女の二元論で語るのはナンセンスだが、この2つの性別に大別しただけでも思考回路や感情はまるで異なるケースが多い。互いを理解するに越したことはないが、それはもはや不可能なことのように思う。僕は女性が一般的に考えることが分からないし、女性から見ても僕やその他の男性の思考が意味不明であろう(世の男性が僕のような珍妙な考え方をしているわけではない)。

 理解できないものを拒絶するのではなく、また無理に尊重する必要もなく、ただ存在を許容する、程度のスタンスが大切だと思う。もちろん許容範囲外の事象も人によって様々あるだろうから、上手く行かないケースも世間にはありふれているのだろうが。

 その線引きを見極めるのが、本当に怖い。自分の好きなように生きた結果、相手のメンタルを擦り減らすことになるのは勘弁願いたいところだ。いや、それよりも、そうやって僕が勝手に縮こまって行動し、神経を使って生活することに耐えられない。

 僕の質の悪いのは、「自分が間違っている」と分かっていて、その場では反省するにも関わらず、心の底で改善を拒否し、結果として失敗を繰り返す点だ。また、こちらが勝手に相手の理想どおりになりたいと考えて無理をした癖に、相手がこちらの思い通りになってくれないことに勝手に落ち込むのである。救いようがない。


 これまでいくつも僕のnoteの記事を読んで頂いている読者の方々の中には、女性もいらっしゃるらしい(社交辞令でなければ)。書いている本人が言うのも何だが、よくもまあ吐かずに読み進められるものだと思う。男性性の良くない部分を抽出したような文章である。

 僕は優しくありたいが、弱すぎる。情けなく、悔しい限りである。「弱さを認める強さ」が称賛される風潮があるが、僕の場合はただ許されたい、ダメなままでいたい、そんな甘えた感情である。褒め称えられるどころか批判されて然るべきであるし、どなたかに訴えられたら負けてしまう自信すらある。


 こんな文章を公開してしまったら、もう誰も僕に会ってくれないかもしれない。ヘラヘラしている顔の裏側で、黒に近い灰色とピンクの感情を抱いている人間と、誰が積極的にコミュニケーションを取るだろうか。これでは進んで孤立しているのと変わらないではないか。人間誰しも精神に良くない、嫌な部分を抱えているものだろうが、それを上手く隠したり小出しにしたりして生きている。このnoteにたどり着いた知人に限るが、僕は己の汚い部分を前面に押し出している。みっともないとはこのことだ。

 

 そろそろ結論に入りたいが、何が伝えたいのか改めて考えると、何も出てこない。今の『狙女』さんへの想いを書くことは簡単だが、それはこの場所にふさわしくない。そういうものは、然るべき時と場所に、オフラインで直接お伝えするものだと考えている。

 強いて言うならば、女性の皆様へひとつお願いしたいことがある。僕にも、同性の友人にも経験があることなのだが、食事や遊びの約束をこちらが持ち掛けた際、気が乗らないならばハッキリとそう言って断っていただきたい。気が向いたら行く、ならばそうお伝えいただきたい。女性は優しい方が多く、断るのが難しいのかもしれないが、ズバッと斬られた方が我々からするとありがたいものだ。僕は数日前に急遽ドタキャンをされたことがあり、友人に至っては約束していた相手が音信不通になってしまった。往々にしてこちらに非があったのだろうが、その点についてはご協力いただけると幸いだ。そもそも、そんな気遣いなどする価値もないから「飛ぶ」のかもしれないが……。


 女性のことになると一気に文字数が増える。俗物が更新しているnoteだということがお分かりだろう。

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