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Tくんへの回答をまとめてお送りします

 金曜日に2回目のワクチン接種を済ませたため、その後の土日は副反応を懸念して家に籠ることにしていた。そこで、SNSでnoteの題材を募集したところ、何人かの友人からメッセージを頂いた。とても感謝している。

 今回はその第1弾として、友人Tくんからの3つのテーマについて書いていこうと思う。本記事に限らず、リクエストで書くものは普段取り扱う内容とは一線を画すものも多いが、お付き合いいただければ幸いだ。


①今と昔の継投や完投の価値


 野球に関するテーマである。昔——昭和から平成初期にかけては、「先発完投こそ正義」という風潮が根強かったものの、現代野球では9回まで投げ切る先発投手は少なくなってしまった。それだけリリーフ投手の重要性が増したということでもある。高校野球でも1人のスーパーエースに頼るよりも複数の好投手を擁して負担を分散することが是とされるようになってきている。

 ここではプロ野球の話に絞り、僕の意見を述べると、もちろん先発が最後まで投げ抜くに越したことはないし、完投ができる投手というのはたとえ白星と黒星が五分でも重宝される存在だと思っている。年に143試合も行うのだから、他の投手の消耗を軽減できる完投型投手はありがたい存在だ。

 一方で、「マシンガン継投」と呼ばれる戦術も存在する。2021年は巨人の原辰徳監督が多用して話題になっている、次から次へと投手を交代する作戦である。今季は延長戦がないルールなので、いい投手を早めに投入するリスクも例年に比べると小さい。これも一概に否定すべきものではないと思っている。一年間毎日そんなことをしていたら救援陣も持たないが、どうしても落とせない試合などに持てる戦力をフル稼働することは理に適っている。


 リリーフ投手の疲労は注目されがちだが、忘れてはいけないのは「先発投手も疲労が蓄積していく」ということだ。週に1回しか登板しないので、気力十分、体力満点でマウンドに上がっているように思えるが、4月と9月ではやはり身体の重さが全く違うらしい。どこに調子のピークがあるかは人それぞれだが、秋ごろになると球威が落ちてしまう投手も居る。いくら信頼できる先発だからといって、春先から長いイニング、多い球数を課すのはよろしくない。1年間ローテーションを守った場合に投げる二十数試合で、全て完投できるような大投手はまず存在しないのだから。


 まとめると、「完投は価値が高いが、何でもかんでも完投させればいいというものではない」という結論になる。リリーフに強力な投手が何人も揃っているならば無理する必要はないし、逆に後ろの投手陣に不安のあるチームは多少強引にでも長いイニングを先発に任せるということもある。


 ここまで書いて言うのも何だが、投手起用に関しては千葉ロッテの吉井理人投手コーチの発言やブログをかなり参考にしている。そちらを読んで頂くと、より深くてリアルな現場の考えがわかるだろう。


②現代サッカーにおけるパワープレーの価値


 お次はサッカーに関する話題である。パワープレーとは、高身長でヘディングの強い選手を最前線に置いて、そこめがけてロングボールをひたすら蹴り込む作戦の事だ。東京五輪のサッカー日本代表で、試合終盤に本来はDFの吉田麻也が攻撃に参加していたものがそれだ。この戦術の価値について考えてみる。


 前提として、フットボールは日々進化している。稀代の戦術家・グアルディオラ(マンチェスターシティ)や若き名将・ナーゲルスマン(バイエルンミュンヘン)が最先端を行き、それに打ち勝つために新たな戦術をクロップ(リヴァプール)やトゥヘル(チェルシー)など様々な監督が生み出す。リーグによって特色は様々あるものの、トレンドは欧州から作られるのは言うまでもない。

 日本サッカーも、指導者は海外から学ぶことも多いようで、戦術的な進歩は目覚ましい。更にはリカルド・ロドリゲス(徳島→浦和)やロティーナ(東京V→C大阪→清水)ら、スペインからやってきた監督がJリーグにもたらしたものは大きい。

 僕が思うに、彼ら指揮官やポステコグルー(横浜FM→セルティック)が持ち込んだものは、「偽SB」や「5レーン」という1つひとつの戦術だけではない。僕がJリーグに興味を持ったのが2017年、真剣に観るようになったのが2018年と最近のため、それ以前のJ、ひいては日本のサッカーがどうだったのかは定かではないが、近年のサッカーは「すべてのプレー、立ち位置に明確な意図がある」ように感じる。ビルドアップ(後ろから前へと攻撃を組み立てていくこと)で、人を動かし、ボールを動かし、相手を動かすことで相手の守備を破壊することができる。派手なドリブル突破もスーパーなシュートもなく、鮮やかに崩すことができる。「崩し方」を編み出し、崩されないための守り方を考え、そうやってフットボールは進化していく。F・マリノスが「マルコスシステム」と呼ばれる圧倒的な攻撃サッカーで優勝した後、F・マリノス対策をした各チームが勝点を奪うようになり、さらに改良を加えたシステムで今また彼らは好調を維持している、といった具合だ。


 話がずいぶん逸れてしまった。具体的な戦術内容に触れずとも、ここまで書けてしまうくらいにサッカーは奥が深い競技なのだ。緻密に練られた戦術と意思の疎通で得点が生まれ、相手の攻撃を防ぐ、そんな競技なのだ。

 それに比べると、パワープレーというのは戦術としては稚拙に見えてしまう。「長身の選手に競り勝たせて、何とかしてもらう」だけという、運要素の強い、細かさの欠片もない戦術だ。これを好まないサッカー好きも世の中には一定数居るし、サッカーとしてレベルが高いかと問われると、僕も首を横に振るだろう。

 

 だが、サッカーには芸術点が存在しない。


 パスを50本回して華麗に奪ったゴールも、ロングボールとそれを落とした2本だけのパスで奪ったゴールも、同じ1点なのだ。

 もちろん、それしか攻め手がないのはいただけない。美しくもないし、パワープレーが得点に直結する可能性は決して高くない。が、後半アディショナルタイムに1点ビハインド、相手は全員が自陣に戻って引いて守っている、そんな時にパスで崩していくのと身体が強い選手に直接ボールを届けること、どちらに希望が残っているかというと、間違いなく後者なのだ。


 『神様のバレー』という漫画で、コーチはチームのエースに「お前の強打はチームの〈保険〉になれ」という言葉をかける。頭脳を使ったプレーで行き詰った時に、安定して得点できるようになれ、という意だ。サッカーにおけるセットプレーやパワープレーは、この「保険」になるものだと思っている。戦術の噛み合わせが悪かったり、停滞感が漂ってしまった時、「高さ」と「強さ」は何の脈略もない所からチャンスを生み出してくれる。


 結論を言うならば、僕は、パワープレーは「頼りすぎるものではないが、あると頼りになる」という認識をしている。そもそもサッカーの戦術は11人の特色に合わせて選択されるものなので、大型選手のいるチームではそれが武器になるし、いないチームは攻め手を1つ欠いているともいえる。

 そんな単純なもので勝敗が決まらないから、サッカーは面白かったりするのだ。


 ③北朝鮮について


 最後は政治的な内容だ。Tくん、普段僕のnoteを読んでいなさそうである。


 僕は精神の安定のためにニュースをほとんど見ないようにしている。そのため世界情勢がどうなっているのかを詳しく知らない。

 だが、僕は日本が好きで、よほどのことがない限り日本で暮らし続けるので、近隣の国々にはあまり事を荒立ててほしくないところだ。僕が生きている間は、日本は安全で豊かな国であってほしい。それだけだ。もちろんすべての人間が幸せであればいいと思うが、そこまで大きなものを願う余裕は今はない。



 以上である。他にも何人かからテーマを頂いているので、その方々も気長に待っていただけるとありがたい。

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