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「君たちと私」の時間も「あなたと私」の時間も-私の双子の愛し方-

限りある時間と身体ー双子に対して母はひとりー 

お腹にいる赤ちゃんが双子だとわかったとき、私の頭に浮かんだのは「1対1の時間を十分にとってあげるのは難しそうだな」ということでした。

生まれたての赤ちゃんは、命の塊で、眠気も食欲も排便の不快感も、親が感じ取って応答していくほかありません。そんな原始的な命の塊が2人同時に我が家にやってくる。双子だからといって(別々な人間なので)、同時にお腹が空くわけでもなく、同時に眠くなるわけでもありません。

また、同時にお腹が空かないとも、眠気に襲われないとも限らないのです。

どちらかの赤ちゃんはお腹が空いていても、もう一人の赤ちゃんの授乳が終わるまで待たなくてはならないし、

うんちが出ておしりお綺麗にしてほしくても、もう一人の赤ちゃんが安らかな状態になるまで待たなくてはならないのです。

大人が2人(か、それ以上)いれば別ですが、一人で双子の赤ちゃんのお世話をしているとき、泣き叫ぶ赤ちゃんに、常に「ごめんね」「ちょっと待ってね」といいながら、気もそぞろにもう一人の赤ちゃんの世話をしていました。

支えにしていた言葉ー赤ちゃんは相方を分身のように感じているー

私は「こんなに小さいうちから生理的な欲求を我慢させて大丈夫だろうか」という不安を抱えつつも、「そんなことをいってもしょうがないじゃない」「大丈夫よ気にしすぎないで」という周囲の子育て経験者の声を頼りに毎日を過ごしておりました。

いくら大丈夫と言われても、目の前の泣き叫ぶ赤ちゃんを待たせている罪悪感は消えることなく、澱のようにたまっていきました。

ある人は私にいいました。「双子は小さいうちはもう一人の赤ちゃんも自分の分身みたいなもんだから、もう一人の赤ちゃんを世話してもらっているとき、自分を世話してもらってるような感覚になるんだよ」と。

私は唯一、この言葉を頼りに、「今、相棒を世話してるよ。次は君の番だよ。君の番の時も心を込めてお世話するからね」「おかあさんには一番が2つあるんだよ」と心の中で繰り返していました。

確かに、この時期の双子は隣で寝ている姉妹を別の存在として意識しておらず、障害物のように寝返りして越えていったり、相手の指を自分の指のように吸っていたりしました。双子が初めて相方を意識して話しかけた(声を出した)のは5か月を過ぎてからのことでした。

そんな0歳児時代を過ごし、双子の個性も母親にははっきりとわかってきました。そしてふと気づきました。「私たち、常に3人一緒にいるな」

双子の一人に起きた変化ー声なき声にきづく―

「君たちと私」が当たり前になり、罪悪感も薄れていった頃、双子の一人が性器いじりをするようになりました。発達的に1歳頃子どもが自分の性器を気にして触れるようになることは、よくあることなのであまり気にしないようにしていました。

ところが性器いじりをするタイミングをよくよく観察してみると、どうやら大人の関心が、言葉の早いもう一人の子に向かっているときに性器をいじっていることが多いことに気づきました。

それからは意識して静かに一人遊びすることが多い子のほうに声をかけるようにしたのですが、もう一人の子もどんどん活発になっていくこともあり、やっぱりどこか一歩ひいてしまうことが多かったと思います。

「君たちと私」じゃない「あなたと私」の時間

1歳半を過ぎた頃、本当にふと思い立って性器いじりをするようになった双子の一人と一緒に「2人きりで」出かけることにしました。

夫には「たまには1対1の時間を作ってみない?」と提案し、もう一人の子と過ごしてもらうことにしました。

まだコロナ前だったので、初めて二人きりで電車に乗り、横浜元町のお店をプラプラとウインドーショッピングしながらお散歩したのです。

すると、普段はあまり喋らなかった子が、目をキラキラさせて車窓から見える景色にしきりと何か話したり、嬉しそうに眼をみて笑いながら手をつないで歩いたり、子ども服の路面店では自分の試着したいものを指さして定員さんを驚かせたり、今までみたことのないような一面を次々と見せてくれたのです

「あー、私はこの子のこと知らないことだらけだな」「この子は言いたいこと沢山あるんだな」と思ったのです。

決してこの子のことを愛していなかったわけではありません。でも、私は二人を双子として可愛がっていたのかもしれません。

貴重な「あなたと私」の時間の楽しさ

そして「君たちと私」ではなく「あなたと私」の「ふたりきり」の時間は私にとっても、とても貴重でかけがえのない時間だとわかったことが何よりの発見でした。私も子どもの新たな一面に出会えるその時間が、とても楽しかったのです。

それからは一人が昼寝しているときに、もう一人の子も昼寝してくれるように頑張るのはやめて、「ふたりきり」の時間を意識して私も一緒に楽しむことにしました。するとやっぱり、1対1になると別人のように瞳を輝かせて、沢山お喋りをして、その子らしい可愛さを発揮するのです。

そして気づきました。自分はいつからか双子0歳児を育てる中で、自分の時間を求めるあまりに、「早く二人とも眠ってくれますように」と無意識に、祈るように促していたかもしれない。私はそれだけ自分は必死だったんだと思いました。そしてやっとそれぞれの子にしっかり向き合う準備ができたんだなと。

双子だからこそ染み入る「1対1」時間の貴重さ

双子が保育園にいくようになり、子どもと「1対1」になれる時間は、より貴重な時間になりました。

その一方で、保育園にいくようになってから、一歩ひいていた子は「お絵描き」という自己表現手段を発見し、親以外の大人に見てもらったり、認めてもらう喜びを覚え、言葉も増えてきて、がぜん生き生きとするようになりました。

双子は3歳になると言葉で自分のしてほしいこと、欲しいものを教えてくれるようになり、悲しいときや寂しいときは私のところに泣きながらでも、はっきりと訴えてくるようになりました。

そして、2人で本当によく遊んでいます。

だけどやっぱり、今でも時々私とふたりきりで買い物に行ったりすると、独特な親密感を感じることがあります。いつもと違うからこそ特別な二人時間。

もしかしたら、双子の親だからこそ、当たり前ではないその時間の貴重さが染み入るように感じられるのかもしれません。


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