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6月20日「日常と非日常の間で」

最近ちゃんと家の掃除ができてなかったのが気になってたのです。
玄関先にめちゃ葉っぱとかが溜まってたし。。。
今日、滝汗かきながらしっかり掃除出来てスッキリした!
きれいになると家の空気が変わって気持ちいい。隅っこの方とかも嫌な感じがなくなって嬉しいし。
気になった時にちょこちょこと拭いたりできることはやってたけれど、性格的なものなのか、ガッツリやらないと嫌みたい笑
良い感じに掃除の時間がしっかりとれる日程でよかった~

そんな感じでスッキリしたところで何気なく母と話してたら、父が倒れて入院している時にワンコを散歩に連れて行ったことを急に思い出した。

自宅で突然倒れて救急車で運ばれ、もう何が何だか訳が分からない状態で自分も後から病院に行って。
手が震える中、弟や叔母に連絡してなんとか病院にたどりついたものの、明らかにもうなんか普通じゃないって感じで。
ああいう時ってなんでなんだろう。「あぁ。。。だめなんだな」って直感でわかっちゃうのね。
まだ少し意識もあって一般病棟にいたのに。
救急車で運ばれていくときに、「もう帰ってこないんだ」って理屈でなく体が理解しちゃってた。
信じたくないから全力で否定して、死ぬわけない、って必死に思い込もうとしてたけれど。


きっと大丈夫。ちゃんと元気になる。
って祈りながら病院にいて、なんだか日常と非日常がごちゃ混ぜになってて時間の感覚もわからなくなってた。

ふと気づいたらもう外は真っ暗で。ぼ~っと外見てたら急に家に置いてきちゃったワンコのことを思い出した。
朝早くに救急車で運ばれてったから、ワンコの散歩をしないまま夜になってたんだ。
こういう緊急事態な時だから、犬の散歩くらい行かなくったって別にいいじゃないか、ってなりそうだけどそれはうちの家族にとってはあり得ないことで。
うちのコは外でないとおトイレをしないコだったから、何がなんでも連れていってあげないと辛い思いをさせてしまう。あのコにとったら「なんで今日は外に連れていってくれないんだろう・・・」って訳もわからないまま置いてけぼりにされてるだけなわけだし。

母も私も弟も気持ち的にはいっぱいいっぱいだったけれど、病院にいてもどうすることもできないし、母を病院に残してとりあえず私と弟の2人で急いで家に戻った。ワンコを散歩に連れていくために。

正直なところ、帰っている間に何かあったらどうしよう、っていうのはずっと自分たちの中にあった。「父の近くにいたい」と思いながらもでもどこかで「この現実から離れたい」っていう気持ちもあって。

弟と二人で家についたら、ワンコは元気で待っててくれてかなりホッとした。その日に限って雪まで降ってきちゃって、足元が滑る中真っ暗な道を弟と一緒に散歩に連れて行った。

弟と犬の散歩に行くことも初めてだったし、夜に、しかも雪の中で散歩させてる現実がなんだか妙におかしくって、笑えてしまった。
「父が危ないときになにやってんだろう?」って。
でも目の前の大事な家族が私たちの帰りをちゃんと待っててくれて、雪の中を嬉しそうに歩いてしっかりおトイレを済ませてくれているのをみて、笑えてくるとともにちゃんと地に足がついた感じがあった。

さっきまでの絶望感とか希望の無さみたいなのと真逆な感じの力。

弟はもうこのことを覚えていないかもしれないけれど、私の中にはちゃんと残ってたみたい。
どんな出来事も全部一緒に起こってて、どの出来事にもちゃんと希望や光が共にある。辛すぎて見えないかもしれないけれど、ちゃんと一緒にある。
それに気づく第一歩となった夜だった。

でも、そのことに気づけたのは最近になってからだけれど。

どん底にいるときはそんなこと考える余裕なんてないし、考えなくてもいいんだと思う。それはその時にはきっと必要なことじゃないから。
平等に過ぎていく時間と共に、自分の中にしっかりと存在してた記憶や経験が、必要な時に昇華されいくだけなんだと思う。

だから何事も焦らなくていいし、無理に知ろうとしたり力を加えたりしなくていい。
力が抜けた頃に自然と身になっていくんだろうから。

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