画の中にあそぶ ―會津八一記念博物館の展示をみて

 木曜の一限はo先生のご講義がある。今日はその講義時間の後半を利用して会津八一記念博物館で開催中の富岡コレクション展「絵の旅―画中に遊ぶ」を見学した。

 「画中に遊ぶ」とは、すなわち「画遊」のことである。絵画鑑賞における一つの方法として、もし自分がその絵の中にいるとするとどの人になりたいか考えてみる。そうすると、絵の前に立ってただ呆然と眺めているときには見えなかった景色がそこには広がる。明るさはどのくらいか、月光が照らすのか、あるいは蝋燭の灯りが揺れているのか。天気、湿度、あらゆる環境そして壮大な自然が鑑賞者の眼前に飛び込んでくる錯覚と高揚感が感じられる。

「美術作品と向き合うとき、我がこととしてそれを引き受けねばならない」とよくo先生は仰るが、画遊はまさにそのための第一段階になるのではないか。この展覧会に出品されていたうち、橋本雅邦(天保六・一八三五〜明治四一・一九◯八)の《山水図屏風》は印象に残ったもののひとつだった。山々が聳え、河が流れる大自然の中に家が数軒とそこに暮らす人々が描かれる。しかし私が強く惹かれたのは右隻第六扇の人物である。第六扇にもはや山は描かれず、画面下方に河が流れているだけの殺風景と見えてしまう場面であるが、その中を人がひとり、歩いている。この人物になったと想像してみる。孤独感と大自然の中にひとりぽっちという環境で身に沁みる己の小ささをひとしきり感じたのちに、霞で前を見通せない中をそれでも進みゆく強さを体感することができた。

 鑑賞者にとって全く見たこともない光景を、鑑賞者とは遠く離れた時代の画家が描く。そのとき鑑賞者は「自己」と「作品」との間に無意識のうちに隔たりをつくってしまう。その絵が実際のものや風景とどれだけ似ているだろうか。そんなことだけを考え、あるいは一瞬作品を目に入れただけで次の作品へと移動してしまうことはよくあると思う。しかし、そこに絵画作品をみる愉しみは無いのではなかろうか。作品を自分の眼で味わい、自分の中に落とし込んで、画の中で思い切り遊びながら、これからも見つめたい。

(心地よい風の吹く夜に 二○二四・六・六)

橋本雅邦《山水図屏風》


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