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言語化することによって、生き辛さが和らぐのでは?という仮説

(宣誓)
わたしは「言語化」することが苦手だ。
その為、本日よりここで訓練をはじめることにする。

(安心を得るために言い訳がしたい)
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、
生きる気力が枯渇しそうで人に依存しがちな時に、noteが視野を広げてくれて少し楽になった。
ここには、本当は人様に見せれるような綺麗な文章や、為になるコンテンツを置いておくべきなのかもしれない。
だけど、もし同じような人が居たら話してみたいと思った。
わたし今、人間と話したい。
身近で大事な人にはうまく言えないこともある。
勇気を出して投下してみる。

(本文ここから)
「結局何が言いたいの?」
と、よく言われる、思われる気がする。
わたしにとって優しい人は、わたしが何を言いたいかを丁寧に紐解いて汲み取ってくれるけど、世の中にはそうでない人が大半だ。
そんなの当たり前だ。

わたしは、色々な事を広げたり、繋げたりして考える事が好きだ。
頭の中を整理するのは時間がかかる時も多いが、そこそこ出来ていると自分では思っていた。
何故なら、図やイラストなどで視覚化したり・身振り手振りを交えて実地で説明したり、事前にマニュアル化する事をよくやってきた結果、他人様より見れば、わたしは丁寧にわかりやすく教えてくれるらしい。
そう言われることは、ありがたいことに少なくない。
しかし、それを言葉のみで瞬間的にアウトプットすることがヘタクソ!
ということに、最近気付いた。
年齢だけはそこそこになってしまったいい大人なのに。

中学2年生の時、提出した作文の宿題を返却された際に、「本をもっと読んだ方がいい」と言われたことを思い出した。
大仏様に似た国語の先生からだ。
自分以外の人がどう言語化しているのか、まずインプットしなさいということだったのかと、今ならわかる。
授業中にラクガキばっかりしてたのを見てたらそう言いたくなるよね。
このまま絵にばっかり頼って、言葉に興味を持たずに生きていく姿が見えたのかもしれない。

最近、真のコミュニケーション能力とはなんなのかを考える。
自分で言うのはなんだが、一見コミュ障には見えないと思う。
だけど、現職場の人とうまくコミュニケーションが取れない。
今、それで悩んでいるし、最大のストレスだ。
間接的にそれが原因で、5年付き合った彼氏とも別れた。
音信不通気味で振られた。
前髪に白髪が8本も生えた。
本当につらい。
泣いてばかりの毎日は、時間が解決してくれた。
けれど、地味に心が蝕まれ続けているのは停まっていない。

自分でコミュ症宣言をしている人が、なんかうまくいってるように見える。
どこかでずっと感じてた生きづらさは、言語化する事によって少し和らぐんじゃないかという仮説をたてた。

※2018年 1〜2月に殴り書いて下書きのままだったので、公開してその時の怨念よ、成仏して〜

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