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【番外編】法律家を目指した理由

おいおいもう番外編かよ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、まあまあお付き合いのほどを。なお、内容が弁護士を目指すに至った理由にフォーカスしていますので、特に検察志望の方が読んだらめっちゃ腹立たしいかも。その辺はこの文章の性質上、ご了承いただければと思います。


刑事訴訟法ゼミに参加したこと

さて、法律家を目指す理由、ロースクールを目指す理由は人それぞれあると思います。どんなのがあるでしょうね。数えきれないくらいの理由があって、人それぞれ法律家となった暁には取り組みたいと思っていることがあるんだと思います。じゃあ、私はどんな理由で?

実は私、学部時代に副専攻で「法律学」の認定を受けるために、学部3年の頃から刑訴法ゼミに入ってたんですよね。で、在学していた大学の法学部では卒論(JRPと呼ばれていました)を書かないといけないことになっていたので、私も(法学部生じゃないのに……)卒論の準備を進めていました。なお、実は私の代から制度が変わって、ゼミの単位と卒論の単位を別で認定するようになった関係で、学務に対して、本当は卒論が必要ないのに書くことになったこと、さらにいえば、卒論書いたのに単位の認定が出なかったこと、という二重の恨みを持っています持っていません。とっても楽しい思い出です。

話をもとに戻しましょう。刑訴法ゼミで何をやっていたかというと、代用監獄の問題を扱っていました。代用監獄もそうですが、特に身体拘束中(=逮捕・勾留の処分を受けている)の被疑者・被告人はどうしても孤独です。それ自体はやむを得ないのですが、しかしだからといって、行き過ぎた取調べや不合理な処遇が許される理由にはならないはずです(先日、「プレサンス冤罪事件」で取調べにあたった特捜の検事が、特別公務員暴行陵虐を犯したという嫌疑が認められ、付審判決定がされたことで話題を呼びました。)。

しかし、そういった状況にどう対処すればいいのか? 最終的には立法によって解決するのが重要でしょう。しかし、そうだとしても、現に人権侵害の危機に立たされている被疑者・被告人の処遇を放置していいのか? そんなはずはない。

じゃあ誰が? 弁護士しかいない。それは制度上そうだという側面も否定できませんが(接見禁止がされたときなど)、それ以前に、法律を知らないで捜査機関と渡り合うのはまず不可能です。そうすると、事実上、被疑者・被告人の処遇等について捜査機関と直接かつ有効に話ができるのって、やっぱり弁護士だけなんじゃないですかね。

労働者としての生活

大学を卒業してから、学部時代からお世話になっていた(というか講師として働いていた)学習塾で1年間だけ、講師として仕事をしていました。そこで労働問題にぶつかった、という話ではないんですが、まあでもその頃、同じ学部の同期が、仕事がしんどい、辛いといって気を病んでいたんですよね。

いろいろ周囲を見てみると、同じような境遇の人がたくさんいる。その中には、これは労働法上の問題になるのではないか、というケースも見られました。

この国で多くの人は仕事をして、その対価としての賃金でもって生活している。その仕事、労働がまともにできる状況を確保できるようにしなければ、という思いが、社会人時代に芽生えたんですよね。なぜって、それは簡単で、まともに労働ができなかったら、まともに生きられないわけで。まあ、ある種、新自由主義に対する対抗意識のようなものなのかもしれませんし、青臭い正義感のようなものなのかもしれません。

今でも学部の同期からは、お前法律家になったら、労働問題を頼むよ、と言われています。彼はサークルの先輩を一人亡くしてて、しかもそれは、やはり労働問題が関係していたそうなんです。だから彼の言葉は、自分に何か労働問題があったときにはよろしく、という意味ではなく、今の社会に存在する労働者の問題を広く解決してくれ、という期待を込めたものだと捉えています。

小括

そんなわけで、ロースクールに入ったとき、私は刑事と労働をやりたい、しかも被疑者・被告人側、労働者側として携わりたい、そう自己紹介をしました。いまでもその思いは変わっていません。

実はこのことは阪大ローに提出したステートメントにも書いています。そのことをある先生にお話したら、「そういう目標があるのなら、ローの勉強だって頑張れるよね」と。本当にそのとおりで、辛くなったときは今でもステートメントを読み返しています。そろそろ、ここの表現はもう少し丁寧に書けよ、とか、こういう書き方は煮詰まってないな、というような、読んでいて恥ずかしくなる点が目立つようになってしまいましたが、今でもパソコンのデスクトップの目立つ位置に置かれています。

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