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ネコでもいいじゃん

私は自分が集団行動を基軸としている犬だと思っていたし、フレンドリーな犬が可愛くて好きだ。

空気が読めないと気が付かなかった頃は必死に集団になじもうとして、なじめなくて悲しくて、でもそこにいようとして、自分の気持ちをもないがしろにしていた。

空気が読めないという事実を知ってもなお、集団でいることが好きだと思っていた。

ある時ネットの講座で 「コミュ力なんていらない・・・」の著者の方のお話をうかがっている時、『リモートワークでチャットに書きこむ時、参加の皆が空気を読めなくてやりにくいという状態に陥ることがあるが、その状態がやりやすい人もいる』という説明でピンときた、

ネット講座のチャットでのやり取りが好きなのは「すべての人が空気が読めない状態が作られて、皆と条件が同じになるからだと」

その時思い出した、以前師匠が、集団の話には参加しないけど、まるで猫のようにその場に機嫌良くいる人の話をしてくださったことを。

もしかしたら、私は猫であってもいいのかもしれない、自分のペースで自分が楽しく好きなことをすればいいのかもしれない。

集団と一緒の空間にいて空気を無理やり読もうとしなくてもいいのかもしれない

自分が楽しくすごして、人がうざかったらネコ👊したり、相手が喜ばなくても虫やトカゲとか持ってきてあげたりしてもいいのかもしれない。

犬の集団に入れないのは死ぐらいに思っていていたけど、猫でもいいのかもしれない、そんな気まぐれ(と言われている)猫が好きな人は割とたくさんいるらしい。