優̷̫̈͒し̵さ̴̖̞̀の̴̻̹海̴
なかなか̴̦̮ひ̶̱̝̐̇とに「頑張れ」と言えない。
もう頑張っている̸̢̻̠͇人が大半なのに、それ以上の重荷を背負わせる資格はない。頑張りを̸̭̩応̷̝̯̽̃援̴̨͓̥͗することは出来ても、そこに介入することは誰であろうと許され̸̯̙͇̯͛͂̂͗ない。
「頑張ってて偉いね̶̨̤̦̩̏̈̉!̵̖̑̊̀」なんていう褒め方をされた。
頑張るのは確かに偉いことなのかもしれない。
でも̴̖͂̽̓そ̸̙͓̥ͅれ̵͖͂̄̈́って、頑張ってない、頑張り疲れてこれ以上できない、もう頑張れない̸̢͋̈͒̏̀͟ひとは偉くないってことにならない?私は偉くない?ちゃんと頑張れてる?
そんな疑問を誰にぶつければよかったん̵́だ̸̟̣̊͡ろ̶̥̟͊̉う。
頑張れという優しさに似た押̵̧͌̆ͅし̵̆付̷̗̖̒̋け̴̝̈͗͊を無理やり背負わされて階段̶̘̜̥̞̺͓͒を̵̨̧̜̻͙͋̓登ることにいったいなんの意味があるんだろう。
いろんな悲しみや苦しみを̵̻̭̳̩̽知ってもなお、自分と他者の幸福̴̟̈̄͑̏́̒͛̅̕度̵̨̰̯͓͚͓̤̏̋̆̔̐͡の違いを目の当たりにする。そんな相対的な悩みで窒息しながら漂̸̖͕う̵̡̪̖̩͂̀̇̄̏̏͋͟。
ひ̴̡̥͈̏̿̕と̷̞͉̥͋̏̄は優しくされたい時にしか優しく̸̈́̎で̸̾̚き̸̙̞́͟͝ない可哀想な生き物だ。̶̧͙͓͔͓̰̈́̍͋͒͜͝
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