甘さと性差を排した犯罪小説――『ゴーストマン 消滅遊戯』刊行に寄せて

①ドライヴ(ニコラス・ウィンディング・レフン)
②ヒート(マイケル・マン)
③ユージュアル・サスペクツ(ブライアン・シンガー)
④ザ・プロフェッショナル(デヴィッド・マメット)
⑤レザボア・ドッグス(クエンティン・タランティーノ)
⑥インセプション(クリストファー・ノーラン)
⑦ゲッタウェイ(サム・ペキンパー)
⑧ダイ・ハード(ジョン・マクティアナン)
⑨オーシャンズ11(スティーブン・ソダーバーグ)
⑩インサイド・マン(スパイク・リー)

「強奪映画のベスト10は?」という問いに対して上記作品を挙げた青年の名はロジャー・ホッブズ――わずか2冊の小説だけを残したまま、昨年11月に28歳で早逝してしまった。ここでは彼の作品を微力ながら紹介したいのでお付き合い下さい。本稿をここで読むのを止めてもいいです。だけど、クライムフィクションに興味があるなら今すぐ彼の作品を購入して読んで欲しいと願います。そして、洋画ファンにこそ彼の作品を読んで欲しいと思っています。そのため引き合いに出すのは全て映画作品になっています。


『ゴーストマン 時限紙幣』(文藝春秋刊)

主人公の私=ゴーストマン=犯罪の始末屋は、連邦準備銀行の新札――48時間以内に爆発する――を現金輸送車から奪った犯人から奪い返すよう命じられる。命じたのは5年前に失敗した銀行強盗計画の立案者。現在のアトランティックシティでの奪還作戦と過去のクアラルンプールでの銀行強盗が交互に語られる。

現在パートのクールでドライな手触りのまま目的に邁進する姿は、これでもかと盛り込まれたディテールと相まって非常に読ませる。だが、白眉であり作者の実力を伺わせるのは過去パートなのだ。端から失敗することが分かっている銀行強盗なんて面白いのか。それが抜群に面白いのだ。丹念に詳細を描き出すことで、次第に読者はこれだけ精緻な計画が「いかにして失敗するのか」という興味を喚起されることになる。

普通の銀行強盗は成功か失敗か分からないからこそ、肩入れしたくなった犯人側に対する「成功して欲しい」というシンパシーを燃料にして物語を追いかけることになる。だが、この類稀なデビュー作はどうせ上手くいかないのにという白けた気分になることなく、失敗を見届けたくなる――これ以上ない盛大な失敗を見せてくれる。「ヤマがあれば踏む」というプロがプロのまま無駄な対立もなく行動し失敗していく。そこにはある種の美しさすら漂う。作者が愛した『ヒート』に対する多大なリスペクトを感じる。

ここまで語ると現在パートは魅力がないのかというそうではない。ヒリつき痺れるような『ドライヴ』の冒頭の空気感を維持したまま最後まで進む。『ドライヴ』の冒頭シーンは逃し屋をしている主人公が強盗を車に乗せることから始まる。派手なカーチェイスはなく、緩急を織り交ぜながらいかに警察の視界から消えるかが主眼となる。まさにこれ、なのだ。現在パートでは無駄なく静かに目的を達成するためだけに主人公が行動する。恋人の存在(ありがちな馴染みの娼婦も)や辛い生い立ちといった甘味料は入らない。

このように犯罪を描くことに奉仕したのが『ゴーストマン 時限紙幣』だったのだが、本作はそこに留まらない。インタビューでロジャー・ホッブズ氏はこう語っている。

女性が演じる役割は、刑事か死体かどちらかだった。R・ホッブズに聞く『ゴーストマン 時限紙幣』2

もし、ある女性が宇宙科学者なり警察官であったなら、彼女が美人かどうかは関係ないはずでしょう。性別や外見は二次的なものです。小説の登場人物も、実際の人間と同じく、「何をやるか」で測られるべきであって、どこで生まれたかとかどんなふうに見えるかで測られるべきではありません。

そもそも女性は従来のクライムフィクションにおいてどういう存在になりがちか。恋人、被害者、悪女、「男勝り」の活躍をする仲間。そんな定型が余りにも定着しすぎている。だが、執筆当時20代前半の彼はそんな古い価値観がつまらないと思っていたのは明らかだ。

ゴーストマンの犯罪の師匠であるアンジェラは、彼より劣るところは何もない。全ておいて優れる彼女は自分の持てる物を彼に伝授する。試しに一回寝てはみたが、彼と恋愛関係に至ることはない。徹底したプロであり、世界的な犯罪者でもあり、孤独なゴーストマンの相棒であり親友である。過去パートに登場する強盗チームの管制官のシウ・メイも同様にプロだ。彼女はお飾りでも女性だから甘やかされるわけでもなく、強盗チームの一員として振る舞い続ける。たまたま性別が女性であっただけで、「何をやるか」という目的に対して必要な能力があっただけなのだ。

暴力とは無関係ではないクライムフィクションはマチズモとの親和性が高い。だが、ヤマがあったら踏みたくなる欲望に男女は関係ないはずだ。女「だけど」有能だから、なんて必要はないはずだ。もちろんそんなことは多くの人が分かっている(分かっていて欲しい)。だけど、女性ふたりが犯罪者を出し抜く傑作『バウンド』のような映画作品は少ないし、男女混合でもタランティーノが『ジャッキー・ブラウン』で誰よりもタフな女性犯罪者を描いたのももう90年代の話である。映画を愛する作者はおそらくそれを分かった上で、「これが私の思う当たり前」を打ち出してきた。それはクライムフィクションが描く定型的な男女に不満を持つ女性にも訴求するのではないかと思う。


『ジャック ゴーストマンの自叙伝』(Kindle)

出版されていない短編である。妊娠中もヘロイン中毒に陥っていた母親から生まれたジャック=ゴーストマンがいかにして思春期を過ごし、犯罪と出会い、犯罪者として歩み出すのかを描いている。臍の緒から摂取させられた影響で「生まれたときからヘロイン中毒だった」という説明が、自嘲混じりに序盤に挿しこまれるのには唸った。

印象的なのは死んだ生みの母に対する執着など微塵も感じさせない点にある。ラスヴェガスという街に魅せられながら養父母の元育つ過程で、自分は何が出来るのか/何に向いているのか/何を欲するのかを冷静に観察する少年の姿は、現在のゴーストマンの姿に地続きである。同時に分かりやすいドロップアウトをせずに、学業はきちんと優秀にこなしながら犯罪に踏み出すことに躊躇いのない姿もまた地続きである。趣味がラテン語の翻訳という犯罪者の基礎がしっかりと描かれている。

本作は『ゴーストマン 時限紙幣』とも、この後紹介する『ゴーストマン 消滅遊戯』とも直接的な関係はない。だが、我らがゴーストマンがどのように形作られたのかという補助線としては見逃せない作品である。特に2作目を読むとゴーストマンとカジノの関係にニヤリとするだろう。

Kindleで無料で読むことができるので是非とも読んで欲しい。掌編であるにも関わらず、そして少年を描いているにも関わらず、ゴーストマンはゴーストマンなのだという筋が通っているところが素晴らしい。実は傷ついていた。実は少年らしい部分があった。などという弱さはゴーストマンに存在しない。


『ゴーストマン 消滅遊戯』(文藝春秋刊)

ようやく、最新作にして遺作である第二長編の紹介に。本作のコンセプトは明瞭だ。帯のアオリにある通り、マカオからSOSを送った師匠であり親友であり相棒であるアンジェラをゴーストマンが救おうとする話である。まず、この帯を称えたい。「友」が死地に取り残された、なのだ。男と女だから当然「愛した女」だろうなどとは表現しない。そんな甘さは存在しない。ゴーストマンにとってはこの世でたったひとりの大事な相棒を救うためだけのミッションなのだ。

前述のように1作目は過去と現在が交錯する構造を取っていたが、本作は一直線で事態がどう収束するかを描く。プロローグでは、アンジェラが立てた洋上の強奪計画が描かれる。密輸船に積まれたヤバい大量のブルーサファイアを奪うという計画なのだが、まずブルーサファイアという宝石がどう採掘され、どう密輸されるのかという説明が具体性を帯びているので読ませるし、『ブラッド・ダイヤモンド』で描かれた宝石の背景にある暗部を思い出させる。そして、強奪計画は狙撃して対象を無力化するところから始まるのだが、この狙撃シーンの一発一発の描写は『ザ・シューター/極大射程』を彷彿とさせる興奮がある。だが、それはあくまでツカミでしかなく(何せゴーストマンは登場しない)、密輸船からの強奪計画が一見成功したかに見えて……というところから本編のスタートとなる。

アンジェラを追う凄腕の殺し屋加え、現地の犯罪組織も絡んでくる本作のプロットはいかにドツボにハマった状況から抜け出すかという、クライムフィクションではお馴染みの展開を取るし、読者を驚かせる仕掛けも忘れていない。そして、本作に「下手を打った間抜けさ」は存在しない。ゴーストマンはドツボをドツボと分かった上で、6年ぶりに連絡を寄越した相棒のためにマカオの街を奔走する。あらゆる過程が、ゴーストマンとアンジェラのプロとして甘さがなく無駄のない動きとして描かれる――マカオで初めて連絡を取る手段のクールさは傑出している――のが素晴らしい。

前述のように性差にこだわらない犯罪小説を描いた著者らしく、本作でのゴーストマンとアンジェラの関係はとてもフェアだ。どうせ男性が優位だというわけでもなく、女性が師匠でも弟子が男性だから必要以上にバカにするわけではない。男女バディとして最高のコンビネーションを見せる。アンジェラが凄腕の犯罪者のゴーストマンを「Kid」と呼ぶとき、それは信頼できる相棒兼弟子に対する親しみが滲んでいる。

この辺りは警察側の物語ではあるし師匠が男性で弟子が女性という逆転はあるが、プロに徹する男女師弟を描いた傑作香港映画の『天使の眼、野獣の街』のふたり(の数年後)の関係性を彷彿とさせる。師弟の違いはあれど、同じ目的を達成するための相棒という共通点だ。そして、本作での一番の見せ場は師匠のアンジェラが担う。近年のどんな作品の女性よりも格好良く啖呵を切る彼女の姿は、ハイライトとなって痺れずにはいられない。一作目のカバーがゴーストマンのシルエットなら、本作はアンジェラのシルエットになっていることからも明らかなように、今回はアンジェラ推し。一作目では見えなかった彼女の魅力が描かれている。『ミッション・インポッシブル:ローグ・ネイション』でレベッカ・ファーガソンが演じたイルサなど、「女なのに」という前置きなしにただ有能でタフな女性キャラが増えている。企画が止まってしまっているが本シリーズが映画化されればアンジェラもその系譜に加わるはずだ。

マカオで犯罪を描くというプロットで、ジョニー・トーの『エグザイル/絆』を思い浮かべる方もいるかもしれないが、それよりも本作には「異邦人」の眼が向けられていると感じた。外国人にとって馴染みのない街の猥雑ささえも犯罪を通して美しく描こうとする描写には、作者の愛するマイケル・マンが『ブラックハット』で香港の街を映しとったものと重なる。そして、007『スカイフォール』を彷彿とさせる美しいシーンもある。この辺りは1作目にも共通する点だが、映画が好きな皆さんが読んでみて思い思いの作品を見つけて欲しいし、それを教えて欲しい。

ちなみに『ゴーストマン 消滅遊戯』のサウンドトラックとして作者が挙げている曲は、こちらで見ることができるので読書のお供に。カニエ・ウェストの「Diamonds from Sierra Leone」は冒頭のブルーサファイアの採掘過程の描写で流れるであろうと想像できるので是非。8曲目の「Kansas City Shuffle 1」以外はSpotifyで配信されてることは確認済。

また、もう読むことの叶わない新作「City of Sirens」のサウンドトラックも紹介されている。特に本作を読んだ方にはオフスプリングの「You're Gonna Go Far, Kid」は味わい深く、そして色々な想像を巡らせる選曲になっているはず。


最後に個人的な話を

ロジャー・ホッブズ氏の作品を取り上げるにあたって、映画作品のみを参照したのには理由があります。冒頭にベスト強奪映画を引用したように、映画を愛する彼の作品がまだまだ映画が好きな皆さんに届いていないかもしれないと思ったからです。映画が好きな人にとって見たかったものも今まで見せてもらえなかったものも、彼の作品には込められていると思います――きっと期待には応えられるのではないかと思います。

思い返すと彼のことを知ったのは、担当編集の永嶋氏から「マイケル・マンの『ヒート』が大好きな20代前半の男の子が最高にクールな犯罪小説を書いた」と教えてもらったことがきっかけでした。オールタイムベストが『ヒート』のなので当然期待で胸が膨らみました。その後、非常にありがたいことにゲラの段階で『ゴーストマン 時限紙幣』を読ませてもらい震えました。彼が自分よりも随分若いけど同じ釜の飯を食って育った仲間だと思えて仕方がなかったからです。だから、少しでも多くの方に読んでもらいたいと思ってtwitterで紹介しました。

ロジャー・ホッブズ氏は2016年の11月に28歳の若さで亡くなりました。死因はどの薬によるものか分からないのですが、オーバードーズでした。その報せを知ったとき、娯楽作品を愛する自分の一部が喪われた想いでした。これから一生かけて付き合っていけるであろう作家の新作は、今回刊行される『ゴーストマン 消滅遊戯』しか存在しないことになりました。色々なビジョンがあったであろう彼の作品を読むことはもう叶わないのです。

ここまで読んで下さった奇特な方にお願いがあります。『ゴーストマン 消滅遊戯』は単体でも十分に楽しめる作品ではありますし、普段は途中から読んでも大丈夫なものは無理せず過去作は読まなくても大丈夫だと薦めています。だけど、もし未読であれば、是非紹介した『ゴーストマン 時限紙幣』『ジャック ゴーストマンの自叙伝』を読んでから『ゴーストマン 消滅遊戯』をお読み下さい。若くして亡くなった青年のクライムフィクションに対する愛を見届けてあげてください。

最後に紹介した上記インタビューから引用します。

よいスリラーを読むと感情を揺さぶられますよね。わたしの場合は、恐怖と興奮と熱と不安がないまぜになった感情に圧倒されます。これが何よりも好きなんですよ。だから、わたしの作家としてのゴールは、あの感覚をすべての読者に感じさせられるようになることです。読者を、「完全にぶっとんだ」という思いにさせたい。となると、すべてのキャラクターが興味深くて、すべての展開がエキサイティングであるべきでしょう。 最終的にはこのジャンルで最高の作家になりたいと思っています。だから、つねに新作は前作を超えなくてはならない。自分の能力のすべてを出し切って、わたしは作品を書いています。そうすることで、あの興奮を、世界に伝えたいのです。

ホッブズ君、貴方は完全にぶっ飛んだ作品を書いて「犯罪小説の帝王」になれるはずだったし、ならなきゃいけなかったよ。この世から“Vanish”するには余りにも余りにも貴方は若かった。R.I.P.

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