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高次元に立つ

「今回のわくちんに対する危険は相当数言われているが例えばこの治験期間中に既に悪い悪いと指摘されている成分が、もしも実際にわくちんには入れてなかったとしたら。一部はあったとしても。そして言われているほど結果的に大人数に害がなかったとしたら。今度はわくちんを危険だと今まで言ってきた人たちが逆に罠にはまりますよね。そして誰もがそういう「陰謀論」的なことを言う者を信じなくなりますよね。僕が本当の悪人だったらこう考えるかもしれないね。そしたら正義感で訴えてた人達が完全にはめられるもんね。だから結構怖いんですよ。どっちがいいとか悪いとかという論争よりも大事なことは、人間の人為的な手法によって健康を獲得するのが良いのか、神にもらった免疫的なことを高めることを優先したら良いのか。根本的なことを考えるのがとても大切なことと思うんですよ」

私もまさにこれで、打ったけれど、どうもないやん。オカンはインボー論にはまっているという話になる。もちろん、2年後、3年後に副反応が出ないほうがいいのだけれど、出なければ出ないで、「ほうら見ろ」となる。そうやって、どんどんと毒を入れられる可能性はあるだろうし、ロシアンルーレットで玉が入っていたら、運が悪かったね~で終わるのだろうと思う。

もう、それでいいのではないかと思い始めた。

その一方で私は、変人としてのレッテルを強く貼られていくのだろう。運のいいことに、私はそういうレッテルを既に貼られているし、人間関係も壊れまくっているし、さらにレッテルを貼られても興味がない。

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ブログからnoteに拠点を移してまだ2日だけれど、私の気持ちに寄り添ってくるれる記事にいくつか出会えた。これもその一つ。


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つまり、高次元世界同士が交差したところには、それぞれの高次元世界に共通する低次元世界ができあがるわけです。できあがった低次元世界は、どちらの高次元世界にも属しています。上図の左側の絵でいうと、面と面が交差していますが、交差したところにできた線(低次元世界)は、どちらの面(高次元世界)にも属している線となります。
...高次元世界とは何でしょうか?
ひとつ考えられるのが精神世界や意識の世界です。私たち一人一人には、精神が宿っています。私たちは精神を直接見ることはできませんが、何かしらの世界があることを知っています。仮に世界中に生きている人々が、それぞれの高次元である精神世界を持っていたとしたら、今、私たちが目の前にしている4次元世界は、そうした無数の高次元世界の交差点なのかもしれません。
「無我の境地」などと言うことがあります。これは自分のエゴや雑念を振り払うことだといいます。自らの精神世界を世界中の人々の精神世界と重ね合わせることで、さらに最適な「高次元の交差点」を探る作業なのではないでかとも考えられます。エゴや雑念を捨て去ることで得られる直観や悟りのようなものが得られる・・・それは自我と全体を一致させることで、自分の精神世界のなかにある「交差点」を見出すことで、「自分が為すべきことを知る」行為なのだと思います。高次元や精神世界。そんなものは、所詮「見えないもの」と思われるでしょうか。しかし、それはただの空想ではないのです。最先端の科学でも、高次元世界があるという仮説が存在する以上、3次元あるいは4次元世界に住んでいる私たちが視認できない、(より高次元の)未確認の世界があると考えること自体は、誰にも否定できません。
ただ、私はスピリチュアル世界とかはよくわかりません。そちら系の話を聞いても、よくピンとこないことの方が多いです。ただし、それらの感覚や感性を否定することもできません。それらを非科学的と切り捨てるのではなく、科学が究明しきれていない部分を表しているかもしれないと考えると、おいそれと頭ごなしに否定することもできないわけです。
こうして考えてみると、目に見えるものしか信じないという「唯物論」というものが、低次元な概念にみえてきます。同時にそうした「唯物史観」で成り立っている共産主義に負ける気はしません。

「この世界のはなし(2)~高次元世界の交差点~」より抜粋https://note.com/isseicc/n/nef80297c0b27

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世界の状況をいち早く伝えてくれる人は、英語が堪能な医師であったり、専門家、翻訳家だったりする。その一方で、スピリチュアルな話を得意とする人が多いと思っていた。

私自身は、精神的に死にかけたときに、不思議体験があったことが唯一で、霊感その他は全くない。スピリチュアルな世界には、今ひとつ、ついて行けないし、ついて行こうとも思わない。でも、その人たちが言っていることを、信じるに値しないとは思わない。むしろ、本質を突いているなと思うことがよくある。

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めいこさんなんてその典型よね。ものすごく調べて、核心をついたことを発信しているものね。

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無題

林千勝先生がよくお出しになる図式。日本はグローバリズム共産主義(左)とグローバリズム新自由主義(右)の間にある⇔のあたりにいて、双方からの草刈場となっている。訴訟で負けた薬を日本で売りさばいているのは、この騒ぎの前からだしね。

頂点にあるマネー主義が本命。戦争があれば、両方にお金を貸しているから、どっちが勝っても儲かる。

この図式の中の愚かな大衆の一人(=従順な地球市民)として、恐怖を煽られたり、ご褒美をもらったり、右往左往するだけバカバカしいってことかもしれない。でも、周囲に言ったところで、鼻で笑うだろうな、私はインボー論にはまったってね。

打つ打たないでもめたり、圧力をかけられるのって、あちらの土俵に乗っかっているということ。だから、一つ上の次元に立てば、振り回されないということ。恐怖も評判も、どうでもええやん!という話になる。

一つは、お金になるべく振り回されないことだろうね。これって、人によってはかなり難しいかもしれないし、私の周囲は考えもしないだろう。だから、私は浮いているのだけれど。私はね、バカにされようが、できるだけ薄めていきたいと思う。


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