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風の時代

HEAVENESE styleのマレさんのクライマックストークで「えーっ!?」とびっくりしたのが今年の7月の終わり。

それから『聖書』にはまって3ヶ月半。『聖書』を読み、『聖書』を解説するキリスト教のサイトをいくつも見た。他の本がどれも薄っぺらくてつまらないと思えるほど、『聖書』は面白い。まだまだ知らないこともたくさんあるだろうけれど、もう、いいかなと思い始めた。もちろん、面白い書物であるのは間違いないし、遠ざけるつもりはない。”『聖書』一択”という「憑きものが落ちた」と言う感じ。

「ホピ族の預言」を知ったからかもしれない。『聖書』と根底にあるものが同じなんじゃないかと。いや、「ホピ族の預言」のほうが、『聖書』より古い時代のことまで語っている。

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私たちが今生きている世界は四つ目の世界で、第一の世界は火によって、第二の世界は氷によって、第三の世界は水によって滅ぼされた、と言われています。(https://www.bepal.net/trip/overseas/93105より)

二つの点で同じようなことを言っている。

私たちが生きているのは、「ホピ族の預言」で言えば四つめの世界。そして、その四つめの世界の「滅びの時」が間近に迫っている。「聖書預言」では刻々と「終わりのとき」の前兆が現実世界に出現している。

この世界は近いうちに終わる。

二つ目は、「終わりのとき」にコマを進めるその原動力は”人間の奢りと欲望”だということ。それがあまりにもひどくなるから、リセットされるということだ。

「グレートリセット」が、グローバリストたちによって為されるのに対し、「終わりのとき」は、神や宇宙人によるものだったりする。グローバリストは、”人間の奢りと欲望”が権化した人たちとも言えるかもしれない。それが、最終的にはリセットされて、5つめの世界に入る。「聖書」は、「千年王国」という時代に入ると言う。

細かい、詳しいことは分からないけれど、そういう大筋が見えてきたから、”「聖書」一択”ではなくなったということだ。


思い出すのは『平家物語』の冒頭だ。

”おごれる人”も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに”風”の前の塵におなじ。


で、どうするか?


少なくとも、分からないまま恐怖に煽られて、”おごれる人”に巻き込まれることはない。となれば、”おごれる人”側に積極的に巻き込まれていくか、”風”に身を任せるのかの二択だ。

”おごれる人”の本質である”奢りと欲望”は、どこまで行っても満たされることはない。よく言われることだ。それは、しんどい~

だから、私は風まかせを選ぶ。楽しいと思うしね。


この茶番は、それまで不思議に思っていたこと、本当かな?と保留にしてきたことを、次々と明らかにした。『聖書』はそれらを1本に繋げてくれた。『聖書』へのほとぼりがさめたら、物の見方が大きく変わっていた。

心理学やフェミニズム、発達障害などは、既に捨てていたけれど、今まで学んできたことのほとんどを捨てることになる

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『聖書』をカレンダーの裏紙でカバーをしていたことがずっと気になっていた。頂き物の新品のハンカチを『聖書』のブックカバーにすることを思いついた。案外、上手にできた。

ようやく、他の本が読みたくなった。



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