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身辺整理

ここのところ、ずっと片付けをしている。たぶん、殺されなければ私は100歳まで生きると思う。100歳は何十年も先だけれど、身辺整理をしなきゃと思っている。

枠パスポートに始まり、チップを埋め込もうとする動きがある。私は断固拒否する。ということは、最悪のシナリオとしては、逃げ回って、最後は殺されるということだ。

「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。 そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字(666)である。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭13:16-17‬‬)

「そんなこと、あるわけないよ~」と思いたいけれど、少なくとも、私の個人的体験において、聖書の言葉は当たっている。枠やチップを拒否すれば、この先、物を買うことも、売ることもできなくなる世の中になるだろう。行政サービスも「お金システム」の上に成り立っているのだから、そのうち、ゴミも捨てられなくなるだろう。刻印を受けて(そうなってほしくないけれど)日常生活を送っている家族に、世間から差別されているオカンの残骸処理をできるだけ押しつけたくないからね。ゴミが捨てられるうちに身辺整理を、というワケだ。

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オマエが言うな!と言われるだろうけれど、洋の東西を問わず、人間が愚かなのは昔からだ。それを炭鉱のカナリアのように叫ぶ人が現れるのだけれど、人々はガン無視で、破滅に向う。それをなんとかするのは、極めて難しい。

聖書に出てくるエゼキエルは、「そんなことをしていたら、破滅に向うよ!」と人々に伝えようとしたけれど、伝わらなかった。

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エゼキエルの話を知って、ムハンマドと維摩経の話が思い浮かんだ。

6世紀後半、ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの抗争が続き、従来の交易路が安全ではなくなった。その影響もあって、マッカは交易が盛んになり豊かになった。人々は私利私欲に溺れ、自分を神にするなど多神教となり偶像礼拝をするようになった。そんな社会を憂えて、ムハンマドはヒラー山で瞑想にふけった。そこに、神の啓示があって・・・それがイスラームの始まり。

維摩経では、人々に仏の教えがなかなか伝わらないから、維摩居士が病気になることで、伝えようとした・・・とも考えられているそうだ。

 第十章「香積仏品」には、最高の香りに満ちた仏の国「衆香国」の菩薩たちが維摩のもとを訪ねてくるシーンが描かれています。
 いきなり別の国の人が登場してきて驚かれた方もいると思いますが、大乗仏教では、釈迦以外にも仏陀は無数に存在していて、それぞれの仏陀が時空を超えた別の場所で仏の国(仏国土)を形成していると考えます。ちなみに各仏国土にはそれぞれ個性や違いがあり、衆香国では言葉で教えが説かれることはなく、香りで教えが説かれることになっています。
 そんな香りの国の菩薩たちに「この国では、どのように教えを説かれているのでしょうか」と尋ねられた維摩は、次のように答えます。
じつはこの国の人々は、かたくなで教化しにくいのです。そのため、仏陀(釈迦)は人々に届くような力強い言葉を使って人々を導いています。たとえば悪いことをすれば、地獄や餓鬼、畜生へと落ちると説いたり、してよいこととしてはとれならないこと、誤った道と正しい道、迷いの世界と悟りの世界などをはっきり区別することで、人々の心を調えて正しい生活に入るように導いているのです」(『100分de名著 維摩経』p89)


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精神医療(発達障害を含む)に始まり、医療や薬、食についての合理的な話、例えば、添付文書にこういうふうに書かれているよということであっても、人々に伝わらない。いや聞く耳をもたない。どうすればいいのだろうというのは私も考えた。

人は言っている内容よりも、誰が言ったかで、その話を聞くかどうかを決める。私が専門家ではなく、肩書きがないからだと思い、医者は無理でも臨床心理士、栄養士になろうと受験勉強をしたことがある。でも、途中で辞めてしまったから、えらそーなことは何も言えないのだけれど。実際にそう言われたしね。資格を取れなかったくせに、余計なことを言うなって。私の至らなさだとも思ったけれど、私の関わる範疇じゃないとも思った。それもあって、今回はおとなしいかも?

言い訳をすれば、変に知ってしまうと、大学で過ごす時間と労力、学費がもったいなくなって、やる気が出なかったからだ。記憶力よりもそれが大きい。資格は若いときじゃないと取れないって、こういうことかと思った。結局、家庭科の教員免許で手を打った。家庭科もね~、言いたいことがたくさんあるけれど、また別の機会に。


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自ら破滅に向うという人間の愚かさを正すことは、預言者にも菩薩にもできない。その上位にある神にしかできない。

で、私は、99%に異議を唱えている1%側にいる凡人で、預言者でなければ菩薩でもない。不本意だけれど、99%の総意に押し流されてしまう以外の未来は考えられない。できるのは、命をかけた不服従だけ。まあ、人間、いずれ死ぬんだしね。


というわけで、今朝も子どもが使っていたクローゼットを分解した。収納スペースがないと、捨てるしかないからね。


(タイトル画像:https://blog.goo.ne.jp/deja6drt/e/ec0bd61b991849621bd902dd69553abb)

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