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霊感

『友人全員失った』元“反ワクチン”派の女性が語る陰謀論の代償と後悔」だって!すご~い、こんな記事があるんだ!私、手記を書いたっけ?と思った。


薬害に気をつけてと言って、私も友人を失ったり、人間関係を壊してきた。コロナで揉めたのは、息子くらいで、ここ1,2年の話ではない。人間関係を壊してでも言うべき人には言ったから、壊れても後悔していない。とは言え、やっぱり落ち込むけれど。

現実世界に友達はいなくなったけれど、ツイッターでは友達ができた。ダイレクトメールやラインで情報交換をしたり、時には実際に会ってお茶をする。日常の孤独感はそうやって埋めていった。(『友人全員失った』元“反ワクチン”派の女性が語る陰謀論の代償と後悔」より)

私も現実世界での友達はいなくなった。でも、そもそも群れるのが苦手だし、孤独だけれど孤独感はない。講演会などもいくつか行って、二次会などにも参加したけれど、そのグループに入ることもなければ、そこから親しくなる人も、とても少ない。

だから、反コロ、反ヤク、反共から転向することはない。共産主義者・社会主義者ではないけれど。(笑)

ちなみに、「転向」とは、

1 それまでの、方向・方針・職業・好みなどを変えること。「サラリーマンから小説家に転向する」
2 政治的、思想的立場を変えること。特に、共産主義者・社会主義者が、弾圧によってその思想を放棄すること。「転向文学」               (『デジタル大辞泉』より)


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私には霊感がないと思っていた。超常現象を見ることもないし、もちろん引き起こすこともない。

それなのに、1回だけ超常現象とも言うべき不思議体験があった。

妄想だったとも言えるが、それから明らかに人生が変わった。今回、3ヶ月半ほど『聖書』にはまっていたのも、その不思議体験に導かれたとも言える。その3ヶ月半を経た今、また新たな段階に入ったことを感じている。後になって振りかえれば、人生が変わったと思う瞬間かもしれない。そんなことを思えば、「妄想」として片付けられないようにも思う。

仕事を辞めたのもそうかもしれない。それまでは、引き留められて、ズルズルと居続けたけれど、後任の人が見つかったということで後腐れなく辞めた。この茶番がこれほど大騒ぎになるとは思わない時点でのことだ。「運が良かった」という言い方もできるが、「霊感が働いた」という言い方もできる。もし辞めていなければ、1年契約だから、1年間、ウソをつき続けなければいけなかった。


しかし、「霊感」ということばは、怪しい感じがする。「霊感商法」を連想するからだろう。もともとはどういう意味なのだろう。

辞書で引いてみた。

1 神仏が示す霊妙な感応。また、神仏が乗り移ったようになる人間の超自然的な感覚。霊的なものを感じとる心の働き。「失うせ物を霊感で当てる」「霊感が現れる」「霊感商法」
2 突然ひらめく、すばらしい着想・考え。インスピレーション。「霊感が働く」(『デジタル大辞泉』より)

1に出てくる「感応」は、「仏が人に応じたはたらきかけ(応)と、人がそれを感じとる心のはたらき(『精選版 日本国語大辞典』より)」がもともとの意味だ。

超自然的な感覚はないから、「直観」のほうがいいのかもしれない。「直観」はドイツ哲学の訳語か?あ~、もうこれ以上、深掘りしないでおこう。やっぱり、「霊感」ということにしておこう。


一つ言えるのは、この「霊感」は、物質的な欲望から離れたところにあるということだ。もし、フツーの人にはなくて、私にあるのならば。「買うことが好き!」な人たち、命を繋ぐためではなく”味覚を喜ばせるために”おいしいものを食べたい!人たちを見ていると、そう思う。

フツーの人に軟着陸してもらうには、その人たちとの人間関係に固執するよりも私自身の「霊感」を守るほうが大事だと思い至った。フツーの人には、「ことば」では伝わらない。それを越えるもので伝えようとすれば、「霊感」しかないのだろう。私にはそこまでのパワーはないだろうから、「態度」で示すことが目標だ。


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ねえ、カマーラ、あなたが石を水中に投げると、石はいちばん早い道を進んで水底に急ぎます。シッダールタが目標を、計画を持つと、そのとおりになります。シッダールタは何もしません。彼は待ち、考え、断食します。しかし、彼は、石が水を通っていくように、何もせず、からだひとつ動かさず、世の中の事物を突き抜けて行きます。彼は引かれるのです。落ちるにまかせるのです。目標が彼を引きつけるのです。目標に逆らうようなことは何ひとつ心の中に入りこませないからです。それこそ、シッダールタが沙門たちの間で学んだことです。愚人らが魔法と呼ぶもの、魔精のしわざと考えるものです。何も魔精のしわざなどではありません。魔精など存在しはしません。だれだって魔術を使うことができます。だれだって目標を達成することができます。考えることができ、待つことができ、断食することができれば
(『シッダールタ』p80)

ここまでは無理でもね、少しくらいは近づけることはできるのかもしれない。

その一方で、この世界も終わりが近いようだし、もう、伝わらないのなら、それでもいいのかなとも思う。


私はフツーを生きられないし、生きたくもない。それでも必要だったら、アクセスしてね、って感じかな。そのほうが、人間関係で波風が立たないし。求められたら、仕事をする(金銭の対価は関係ない)でちょうどいいのだろう。求められなければ、それはそれで、色々とすることは見つけられるタチだから。


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