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20曲目:Hélène Grimaud「La Cathédrale engloutie」とパワーコードの印象について、など

曲名: La Cathédrale engloutie
アーティスト: Hélène Grimaud
作曲: Claude Debussy
初出盤の発売年: 2016年
収録CD:『ウォーター』(UCCG-1731)
同盤での邦題: 沈める寺

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前回投稿してから、1年以上もサボってしまいました。うう~。
またちょっと書いてみたくなったので、気まぐれ更新にはなるかと思いますが、再開します。

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ボブ・ディランが今年もツアーをスタートさせて、初日の音が早速YouTubeにあがっていたので聞いてみた。
出囃子がドビュッシーの「海」に変わってた!
これまではストラヴィンスキーの「春の祭典」だったり、ベートーヴェン第9の第1楽章だったりしたが、さすがに「海」からの「Watching The River Flow」には、ものすごい違和感がある。(笑)

で、例によって謎の連想記憶が働き、2022年の暮れにコロナのデルタ株にかかった頃、ドビュッシーの曲「沈める寺」の原稿をアップ前に消してしまったことを思い出した。
そのリベンジをしようと唐突に思い立った次第。

「沈める寺」というタイトルは、ちょっと文語チックなので令和の時代には向いていない気がする。こんな言い回しに慣れていない人には「誰かが次にどの寺を沈めようか検討してる曲?」と勘違いされそうで、思わず気を揉んでしまう。

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先に白状しておこうと思うが、この曲については特にエレーヌ・グリモーの演奏にこだわっているわけではない。
ブラインド・テストとしてこの曲を聞かされても、筆者にはおそらく奏者がグリモーか否か聞き分ける自信がまったくない。 (ギーゼリングとグリモーのどちらの演奏かを当てることならできるかもしれない。もちろん音質を手がかりにしてだけど...)

「沈める寺」は、『前奏曲 第1巻』の10曲目である。 めったにないことだが、筆者がプレリュード(=前奏曲)をまとめて聞きたい時は(「亜麻色の髪の乙女」とか「交代する3度」とか、そそる曲名が多いので)、ピエール=ロラン・エマールのCDを引っ張り出すことにしている。

収録盤として『ウォーター』をあげた理由は、単に筆者が「グリモー大好き」だからである。
特にアシュケナージが指揮したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のアルバムのジャケットが大のお気に入りで、筆者の好きなCDジャケベスト10に入る。
閉店直前だったタワレコの大阪マルビル店に再プレスLPが置いてあって、非常に購買意欲をそそられたことを懐かしく思い出す。

彼女の名前を知ったのは、今は亡き中村紘子が書いた「チャイコフスキー・コンクール」だった。(いろんな版が出ていたが、今は新潮文庫に入っているはず。)
ここで書かれている彼女は、師事する若い先生に恋する?少女ピアニストで、コンクールのことなど気にもとめていないかのように自分の演奏をして去っていく。筆者の記憶が確かなら、「一種の清涼剤」という感想が書かれてあったように思う。

しかし、それ以降に入ってくる話は、そんな印象を覆すものばかりだった。
オオカミと暮らしている、執筆業もやっている、胃癌を患った、などなど。
著作については、2冊ほど翻訳も出ている。詳しくは書かないが、どちらも面白かった。
「チャイコフスキー・コンクール」とどっちを先に読むかで、彼女に対するイメージも大きく変わるのではないだろうか。

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グラモフォンに移籍してからは、コンセプト・アルバムもしくはプレイリスト的な作品が多く、そこも筆者の好みである。
実はクラシックの作品(特にブルックナーやマーラーの交響曲)を通しで聞くのが苦手で、集中力が続かなくて悲しくなる。

収録アルバム『ウォーター』は、「水」というコンセプトに基づいて様々な楽曲を集めた構成になっている。 また、曲間に電子音が入っているという変わり種でもあるので、それに違和感を感じる人もいるかもしれない。もし、彼女の演奏を聞いたことがなくて興味を持たれた方は、YouTubeのドイツ・グラモフォン公式チャンネルにこの曲の演奏シーンがアップされているので、先にこちらをご覧になられるのも一興かと思う。

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作曲したドビュッシーはクラシックのジャンルに入れられているが、バッハやモーツァルトのようないかにも古典的な感じではなく、もっと浮遊感がある曲調という印象である。

浮遊感の理由はクラシック門外漢の筆者でも推測できる。イントロの和音が1度と5度で構成されていて、3度が聞こえない。
(単純な例:ドミソの和音ならミ=3度を省いてド=1度とソ=5度の音だけを弾く)

いや待てよ。ベートーヴェンの第9のオープニングのフレーズ「チャラーー
ー、チャラーーー、チャラーーー」も1度と5度のメロディーだが、浮遊感とは違う気がする。

モード・ジャズとかハービー・ハンコックの「処女航海」の雰囲気が、むしろ近いような気もするが、もちろん実際は逆で、既存のレパートリー曲のコード音やハーモニーに飽きてきた当時のジャズメンが、新しい手法を開拓すべくドビュッシーなどを聞いていた影響なのだろう。

3度抜きはエレキギターなどでもよく使われる和音で、ロック界ではパワー・コードと呼ばれる。3度の音はメジャー(長調)かマイナー(短調)かを決める要素になるため、3度がないと調性が曖昧になることがハードな音楽では好都合らしい。

しかし、たとえば思い切り歪ませたエレキでドとソをギャギャギャギャギャと弾こうが、ジャーンと鳴らそうが、やはり筆者の耳に浮遊感というものは感じられない。
あるいは、ディープ・パープル「Smoke On The Water」の有名なギター・イントロも高音が1度、低音が5度のみのハーモニーだが、これまた「沈める寺」との共通点を連想させるものは皆無である。
当たり前の話だが、やはり楽器の音色、メロディ、リズム、奏法なども関係してくるのだろう。

ちなみにクラシック界で1度5度弾きに呼び名があるか頑張って調べたところ、「虚無五度」という言葉がヒットした。
同じ3度抜きの和音なのに、クラシックでは「虚無五度」、ロックでは「パワーコード」と、対照的な用語なのが面白い。
19世紀末に音楽を聞いていた人たちは、3度がなくてメジャーかマイナーか判別できない和音に虚ろな薄気味悪さを感じてドン引きしてたのかもしれない。

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今思いついたが、「Smoke On The Water」をグリモーがソロ・ピアノ・アレンジで弾いて『ウォーター』に追加収録していたらどうなったろう?
で、ドビュッシーもディープ・パープルも知らない人たちに2曲を聞かせて、「どっちが「沈んでいくお寺」で、どっちが「水上の煙」というタイトルの曲だと思う?」と質問してみるのだ。
正解と逆の解答をする人も結構いそうな気がする。筆者などは間違いなくハズレ組に入りそうだ。




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