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9曲目: Paul Simon「America」と観客が地名に反応することについて、など

曲名: America
アーティスト: Paul Simon
作詞・作曲: Paul Simon
初出盤の発売年: 1974年
収録CD:『ライヴ・サイモン』(SICP 20344)
同盤での邦題: アメリカ
曲のキー: D(ニ長調)

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本曲を始める前に、ポール・サイモンが無言でギターのチューニングの確認をしていると、観客から「何か言ってよ!」とヤジが飛ぶ。
「何か言って? えーと、みんなで願おうよ、僕たち...僕たちが生き続けることを」
少しつっかえながら、しかも何だか微妙なコメントに観客は一瞬沈黙するが、すぐに歓声へと変わる。
ポールは「これでギターに集中できる」といった様子で、確認作業に戻る。

上記のやりとりは、アルバムを聞いていて感じとった雰囲気なのだが、実際は全然違ったのかもしれない。(筆者は空気を読むのが苦手な人)
ポールが間をつなぐために、とりあえず思いついた言葉を発しただけという感じがするのだが、2022年にあらためて聞くと、なんだか深い言葉にも思えてくる。

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収録アルバムの日本盤LPが初めて出た時の邦題は『ライブ・サイモン』(「ヴ」ではなく「ブ」)だが、原題は『Live Rhymin'』である。版権がソニーとワーナーを行き来したこともあり、一時期は『ライヴ・ライミン』に変わったりしたが、今は『ライヴ・サイモン』で落ち着いている(はず?)。

『Live Rhymin'』というタイトルなのに、まったく韻を踏んでいない自由詩のような「America」が収録されているのが面白い。

なお、2011年版の『ライヴ・サイモン』にはボーナストラックとして、未発表のライヴ録音2曲が収録されている。ということは、本編のマスタリングをやりなおしたうえで、その後ろにボートラをくっつけたのだろう。
リマスター効果なのか、音質もよくなったように感じる。おかげで、冒頭のやり取りから「America」が始まる瞬間に音響が変わる(つまり、ここでテープ編集されている)ことまで気づいてしまうくらいだ。

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例によってWikipediaにある『ライブ・サイモン』のページを見ると、インディアナ州にあるノートルダム大学とニューヨーク州のカーネギーホールでの収録、とある。
ここはWikipediaらしく「要出典」と記したいところだが、確定なのだろうか。もし正しい情報なのであれば、この「America」はノートルダム大学で収録した可能性が高そうだ。

♪ "Kathy," I said, as we boarded a Greyhound in Pittsburgh

「"キャシー" 僕は言った、ピッツバーグでグレイハウンド・バスに乗りこんだ時」と歌うと、少し拍手が起きるのが聞こえる。

♪ Michigan seems like a dream to me now

「ミシガンなんて今じゃあ夢みたいに思える」で歓声と拍手喝采。

GoogleMapを見ると、ノートルダム大学はインディアナ州の北部、というよりもほとんどミシガン州との州境近くにある。
だから観客の中にミシガン州出身や在住者が多くいても不思議はないので、上記の反応は理解できる。

1981年にサイモンとガーファンクルが復活して、ニューヨークのセントラルパークでライヴを行った際、この曲も演奏されたが、やはり

♪ Counting the cars on the New Jersey Turnpike

「ニュージャージー・ターンパイクの車を数えて」のところで、50万人と言われる観客の大歓声が上がる。
この反応を予期していたように、ギターソロの後でもう一度このラインを歌い、そこでも歓声が起きているのが微笑ましい。(笑)

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サイモンとガーファンクルといえば、「America」はオリジナルのスタジオ録音こそ最高、という方もいらっしゃることと思う。いや、大多数の意見がそうではないだろうか。

でも筆者は、『ライヴ・サイモン』でポールが一人侘しく「Counting the cars」と歌う瞬間がたまらなく好きなのだ。
最初は二人で意気揚々と旅立ったはずが、終点のニューヨーク?に近づく頃には、有料道路を走っているか渋滞している車を数えてヒマつぶしするまでに盛り下がっている。
これは筆者の解釈だが、このヴァージョンはその場面がよく伝わるように思う。

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最後にもう一つ、伴奏のギターが普通ではない、というミステリーがある。
冒頭で「ポン、ポン、ポン」とつま弾いているのは明らかに6弦ギターなのだが、曲が始まり3弦あたりを弾くと副弦らしき音も一緒に鳴っていたり、鳴っていなかったりするという不思議な響きに聞こえるのである。
ギターに特殊な改造が施されているか、手をもう1本用意して上と下のポジションを同時に押さえるとかでもしないと、同じ音が出ない。

この件については、2011年版『ライヴ・サイモン』CDのブックレットに、興味深いことが書かれている(解説:檜山譲)ので、少し引用してみる。

今回のコンサートでは、ポールのギター1本で歌われていますが、このギターの音の不思議な響きが、ギター・マニアを長年悩ませてきました。12弦ギターのようでもあり、ナッシュビル・チューニングのようでもあり、少なくともノーマル・チューニングの6弦ギターではないことだけは確かのようです。一番近いと思われるのは、12弦ギターの4、5、6弦のみ太い弦の単音にしているのではないか、という推測です。(つまり弦の数は9本)

<引用終わり>

筆者もギターを練習していた当時、謎のチューニングに悩まされた一人である。(笑)
実は久しぶりに興味が再燃して、Googleでいろいろ検索してみたのだが、成果なく早々にブラウザを閉じた。さすがの欧米ファンもあまり興味がない分野なのだろうか。

その他の可能性として、実はもう一人ギタリストがいて、一緒に弾いているというのはどうか? 実際、1974年の日本公演時はポールの手が不調だったため、弟のエディが同行してサポートした、ということもあった。
しかし、もし『ライヴ・サイモン』にもサポートのギタリストがいたのなら、その名前をアルバムにクレジットするように思う。音数もギター2台なら逆に少なすぎる。

筆者も一時期は9弦ギター説に賛成だった。
しかし、今の考えは「ライヴ時は普通の6弦ギターで、アルバム制作時にスタジオでナッシュヴィル・チューニングのギターを要所要所だけオーヴァーダビングした」である。ギターの音に厚みを出すためか、あるいは単なる気まぐれかは分からないけれど。

このアルバムをレコーディングしたのは、ツアーにも同行した今は亡きフィル・ラモーン(他数名)だが、はて、正解が明らかになる日は来るだろうか?

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