イキウメ『獣の柱』
イキウメ『獣の柱』
作・演出 前川知大
【東京公演】
@シアタートラム
2019/5/14-6/9
【大阪公演】
@サンケイホールプリーぜ
2019/6/15-6/16
5/21夜公演を見た!
初めてイキウメ見たのは2017年の『散歩する侵略者』。あのときは劇団の演劇ってもんを見たことがなくて、ただただ物語に飲み込まれて打ちのめされて帰ったのだけど。あの時から観劇を重ねて大学の演劇サールでの活動も重ねたりしたから、考えられることも多少広くなって気づく所も多くなってたりして感慨深いものもあった。イキウメは原点。
でも、もやもや「あれはなんだったんだ?」という想いに包まれて帰るこの感じ。これはあの時と同じ。イキウメといえばこの感じ!待ってました!
柱はなんの目的で、どういう方法で落とされたのか?なぜ隕石に幸福感を与える不思議な力が宿っていたのか?柱が与える幸福感は歓迎すべきものなのか?それとも忌むべきものなのか?望はなぜいなくなって、現れたと思ったら言葉と歩き方を忘れたような状態でしかも空から落ちてきたのか?ラッパ屋とは?結局、桜の聖書に則った推理は本当に正解だったの?どこまで真実?何が真実?
たくさんの仮説は提示されど、答えを与えられたものはあまりに少ない。でも、正解が与えられていないからこそ「どうして」「なぜ」と憶測をして想像力を膨らませたくなるし、想像力を膨らませる他ない。それは、私たち観客が『獣の柱』を見る時だってそうだし、『獣の柱』の登場人物たちが空から降ってきた巨大な柱と向き合う時だってそう。冒頭で浜田さんが、自分は今あなたたちの脳に直接語りかけていますと語り「あなたたちは脳に直接語りかけられた経験がないから、喋っているものだとして脳が処理している。冗談を言っていると思っているでしょう?」「いや....嘘です、本当はしゃべっています。でも、今この中にはそうかもしれないと思った人もいたはずだ。」と言う一幕があったけれど、確かにそう。どう想像力を膨らませ、どう解釈するかは自由。何が正しいかなんてわからない。
現実世界を生きる中で、正解が与えられるものなんて一握り。なんのために産み落とされて、なんのために生きていかなきゃならないのか?どこにも正解なんてない。それでも想像力を働かせて、自分の解釈を創造して、正しいかもしれないと思うものを選択して生きていくしかない。正しいかなんて一生わからない。でも、正しくあろうと生きることは美しいと思う。部長と桜ちゃん、元旦那さんと脳神経学者の方とその助手、みんなできることを考えてよくしようともがき手を取り合っている姿はあまりに美しい。
正しく在ろうとする人は美しいと思う。
劇場近くのカフェ 、a-bridgeのチキンカリーライスとプディング。美味しかった。大好きな観劇には美味しいものを一緒に味わいたい。ちょっとわかりづらい場所にあるからか混雑してなかったけど、味も良くて大当たりだったのでトラムかパブリックシアターに用があるときはまた利用したい。
🤘
こうやって、観客に委ねてくれるイキウメの手法が好きだし、じわじわと足元から違和感が這い寄ってくるこの感じがたまらない。最高にぞわぞわした。終演後に、これは!上演台本買って帰ろう!と思って外でたら売ってなくてびっくりしたけど、観客に作品本編に最大限の注意をむけさせてひたすらに作品を見せるストイックな姿勢もイキウメっぽくて嫌味がないよなあ。好きにならざるを得ない。
秋の新作「終わりのない」も楽しみだ!
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