見出し画像

『舞台 PSYCHO-PASS VV』

『舞台 PSYCHO-PASS VV』
演出 本広克行
脚本 深見真

最近はほとんどアニメを見なくなったけど、PSYCHO-PASSだけは未だに追い続けている。

つい最近劇場公開されたSSも3作とも見た。いつも完成度の高い硬派な作品を安定して見せてくれるシリーズ。莫大なる信頼感。そんなサイコパスが?舞台化で?主演が鈴木拡樹で?脇を和田琢磨が固め?脚本はアニメ第一期の脚本であらせられる深見さんが務め?シリーズ総監督の本広さんが演出?......見るっきゃねえな!と勇んでいった。4/29夜公演を鑑賞。

しかしまあ結論から言うと、期待外れだった。ここからは文句ばっかりだと思います。何に文句言いたいかって言うと、主に演出面について。演出面でつまづいてしまって、内容に入り込むスタートラインにすら立てなかった。

舞台上ですべてをリアリズム的に描くことが必ずしも悪いとは思わないけれど、そうした時、1200人も入る青年館では伝わらないことがあると思う。二階席からじゃ表情は見えない。全員が私みたいにオペラグラスを持ってるわけじゃない。どんなに引き込まれるようなお芝居を役者さんがしていたとて、そこに注目させてくれないと気づくことすらできない。そこで何が重要かって言うと、音響/照明/ミザンスを効果的に使うことだと、私は思っている。

舞台上で同時多発的にアクションが起こる時、見てほしいキャラクターが浮かび上がるようにスポットを当てて、斬ったり殴ったり撃ったりっていう音もその人にだけ当てる。そしてなるべく中央に近いところにミザンスをつける。とびっきりのキメではなるべくツラに近いところに立たせるか、客席に訴えかけるような動きをつける。こうすりゃ、観客の目は自然と見てほしいキャラクターに向く。書いたのは本当に小手先の手法だけど、こういう手法が舞台PPでは全くなくて。公安局での場面だったら、公安局という場所を示す照明を点けるだけ。この舞台において照明はほとんど、場所の説明だけをしていた。音響も、盛り上がるところで音量上げて煽ったりとか全くしないもんね。全編通して音が小さいんだよね。せめて、盛り上がるとこはあげようよ。

視線誘導して。下手くそすぎ。

そして気になるのは、映像の使い方。
三島慎吾が電波ジャックするところなぜカメラに向かって喋らせた?目白さんもなぜカメラに向かって喋らせた?なぜ九泉と嘉納のエレベーターシーンもカメラ映像?生で芝居してるのに?九泉の苦悩の表情もカメラ通してじゃなくて生の顔を正面から見たかったなあ...
生で芝居してるはずなのにカメラを通してる場面多すぎて、しかもそれによって動きが固定される場面が多すぎて。役者の身体を使ってダイナミックに表現できるはずの場面が殺されてしまっていて心から残念だった。たしかにカメラを交えたほうが現実に沿った表現ができるのかもしれない。でも、舞台上にある映像と役者のどっちを見たらいいのか迷ってしまったというこの事実を考えると、間違いなく今回の映像演出は失敗だと思う。舞台は生物なんだよ

やたら動く舞台セットも、ただひたすらに場所を示すためだけに使われてたし......

もっと演劇的に面白いものが見れることを期待してたんだけどなあ。絶対、サイコパスの設定を使えば社会風刺的に面白い作品ができると思う。
結末に全てが詰まっていたんだから、そこに全てが収束するように演出を付けて欲しかったなあ。演出変えてほしい。
私の趣味には合わなかったという話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?