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推し:個人が背負ってきた価値観、またその象徴

こんにちは、Torysです。
適当に今思いついた言葉を並べるんですが、答えがないけど個々人の主張が強火になりがちな火薬庫トークテーマなので、『Torysがそう思うんならそうなんだろう(笑)』ぐらいに軽く流して聞いてもらえたら嬉しいです。

今回つらつら話したいのは『推し』について。
全オタクの例から漏れず、僕も推しについては色々考えた経験もあるんですけど、今メインで応援してるLiella!は『箱推し』です。

過去に自分にとっての『推し』が何かについてずーっと考えていて、『(自分にとっては)これじゃない』はたくさん見つかったんですよね。
例えば、SNSで毎日名前を連呼することとか、アイコンにすることとか、そう言うのが推しではないって、自分にとっての『これじゃない』ばかり見つけて首を捻っていたんです。(※当時の意見)

そんな中で、なんとなく自分にとっての推しの概念ってのは『自分が何かの感情を向ける対象』のニュアンスじゃなくて、『自分を構成する何らかの大切な価値観の象徴』みたいな感覚の方がしっくり来て。
で、それを表すのに1番近くしっくり来た表現が『レペゼン』だったんですよね。

レペゼンの定義はここでは語りませんけど、なんとなくその自分より大きい概念のものに対して小さな存在の自分が勝手に一方的に“背負う”ってのがしっくり来たんです。なんとなく、その身勝手で自由なニュアンスに頷けた。

さて。
箱推しが多い自分の中で明確に推しとして挙げてるキャラクターがシリーズで2人居て、『国木田花丸』と『宮下愛』です。その名前を並び替えてSNSでは『なまはる』なんて名前で投稿もしてるわけですが……。

この2人を推してる理由は割と簡単で、国木田花丸はラブライブ!シリーズに出会う前の自分の性格に近くて、宮下愛はラブライブ!シリーズに出会った後の自分の価値観に近いんですよね。
そんな風に勝手に共感して、一方的にその人を推しとして背負ってる(気になってる)からレペゼンでもあるし推しでもあるみたいな。僕はこの人と同じ景色を目指して生きてきたんだよって人生の背景を例えるための推しみたいな。そんな感じ。

だから、自分は普段あんま推しの話はしないんですけど、自分の生き方……いや、生き方っていうと外から見えるものだからなんか違くて、自分の価値観が重なって背負った推しと一緒に今日も生きてる(と思い込んでる)感じなんですね。
よく伝わらなくても、そんな推しの考え方もあるんだと思うんです。

僕がそう思うんなら、そうなんです。
僕の中ではね。


P.S. 上の話と逸れるんですけど〜。
自分にとっての何かを『⚪︎⚪︎ではない』の連続で定義してるのも損してる気もして。好きと近くて遠い感情の対象を、自分にとっての他の推しとは違う質感でも素直に“推し”と呼び始めたのも最近です。(熊ちゃん)
まぁ、別に今までの自分に矛盾した呼び方でも今を自由に楽しめた方が良いな〜と。ブレないって言葉にもう縛られたくないオタクの適当な旅は、続く。

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