公演記録#5
高校時代の友達の話だ。彼女は先生が好きだった。それは恋愛の好きではない。彼女は良い父親として先生を見ていた。クラスメイトの私たちはみんなそれを知っていた。先生はクラスの子供たちを自分の子供のように見ていた(と感じた)。もちろん、彼女のこともだ。気にかけ、優しく導いた。さて、もしも先生と恋人になれるとしたら、彼女はそれを望んだろうか。
大学入試で泣かなかった話を何度だってできる。私の先生は良い人だった。入試というのはたいてい、優しい担当・普通担当・怖い担当の三人に面接をされる。その怖い担当だった先生は、私が泣きそうになった瞬間、「大丈夫だから、落ち着いて」と怖い顔のまま言ったのだ。私は許されたのだった。大丈夫なのだった。
先生というのは偉大なのだ。先生というのは子供に絶大な影響を与えるのだ。それでは、先生が間違った教えをしたときに、子供は間違いに気がつけるだろうか。もちろん、正しいことを知っている子供はいる。でも、私だったなら、気がつけなかっただろう。
#様嫁 で私は教師に思いを寄せる生徒を書いた。彼女の思いは報われた。私は気がかりでならなかった。東沙和を助けてあげられる人間はいなかったのか?
「ハムレットの亡霊の亡霊」は、高校演劇部の話だ。1年前の教師の不祥事のせいで部員は減り、残った部長は楽しかったころの思い出を部室に見る。不祥事の種となった3年生は、愛の結晶である作品を演じ終えて部活を去る。告発をした2年生は芝居を愛しており、人のいなくなった場所で稽古を続けるが、演じるべき物語を書けない。そこにやってきたのが主人公だ。部活動紹介で役を演じていた先輩に憧れ、部室へと足を向ける。彼女は厳しい母親のもとで育ち、首には枷がはめられている。作中で彼女の枷が唯一はずれるのは、劇中劇のシーンだけだ。
私の先輩に、演劇部の顧問がいる。先輩にお誘いされて、地区大会を見にいったのが、私が高校演劇にポジティブな気持ちを持ちなおすきっかけだった。みんながとても楽しそうだった。高校時代につけていた、嫉妬のレンズがはいった眼鏡は、大人と高校生という間柄になって、はずすことができていた。楽しそうで、いいね! と素直に思った。
そのキラキラの中に、混ぜてもらおうと思ったのだ。高校演劇において、台本を用意するのがまずひとつの課題であることは知っていた。人数が少なくてもできて、かつ演じていて楽しくて、演じる人が違えばまったく違ったキャラクターになる、その人としての生き方が現れるような作品を書いたら、見つけてくれた高校生は、きっと喜んでくれると思ったのだ。だから最初は登場人物は4人の予定だったし、性別は男女どちらでも大丈夫なようにしたかった(どちらでも大丈夫がすぎて、結果的にオールフィメールとなった)。オーディションを終えて、私はちょっとびっくりした。陰と陽でいえば、みなが陰の美しさを持つ人だった。私の不手際でオーディションに呼べなかった最後のひとりと面談をして、登場人物をひとり増やした。
結論を言うと、私はこれを高校生に演じてほしいと思わない。なぜなら、これは大人が見た高校生だからだ。私は、高校生を子供だと思っている。しかし、私は高校生のとき、自分のことをまあまあ分別のある、子供という身分の、大人に限りなく近い存在だと思っていた。この物語は、大人に守られなかった子供の話だ。黒木が主人公でありながら、物語は亡霊役の青貝を軸に進んでいく。私は青貝が特別だとは思わないのだ。先生に憧れる気持ちというのは誰にでもある。ただ、出来事が起こるか起こらないかだけで。
この作品は、俳優たちが完成にもっていってくれたものだ。脚本は演じる人がいなければ舞台にはならない。登場人物の歪さを、それぞれが深く理解しようとし、愛着をもってくれたと、私は思っている。望むように生れてくれず、親に愛されなかった子を、愛し作品として育ててくれたのは俳優たちだった。また、今回ははじめて、私が最年長という座組だった。私は先生にいつでもなってしまう、けれどなってはいけない、と強く意識させられた。さまざまな面で、良い経験となった稽古期間だった。
ご来場いただいたあなたへ。ご来場ありがとうございました。私は自分の好きな作品を観劇したいと思っています。そして、劇団中馬式の作品は、好き嫌いの境がはっきりとわかれるものだと思います。もし、「ハムレットの亡霊の亡霊」が好きだったなら、それはとっても嬉しいことです。
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