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リハビリ的な雑記:関西弁と言文一致

再び文章を書くことができるようになるまでに、かなり時間がかかってしまった。

僕は去る2月24日に東京の下宿を引き払って地元関西に帰ってきた。
4年間過ごした東京を離れるのはそれなりに名残惜しかったけど、めちゃくちゃ名残惜しいということもなかった。東京にいる間にとにかく本を読んで映画を観なければ!!!という謎の切迫感に駆られて1月2月の間はひたすら読書と映画鑑賞に勤しんでいた(そしてそれはそれなりに楽しく、充実していた)のだけれど、結局関西に戻ってきてからも毎日1冊は本を読んでいるし、ほぼ毎日大阪か京都の映画館に通っているので、ぶっちゃけ東京にいようが地元にいようが僕のやっていることはあまり変わらない。

引っ越し直前の荷造り期間(3日間ぐらい)と直後の荷ほどき期間(これまた3日間ぐらい)は結構バタバタしていたことは否めないのだけれど、家族の協力もあってそれなりにスムーズに片付いたので、3月に入ってからは普通に落ち着いた日々を過ごすことができている。

このように振り返ってみるともっと早く文章を書けるようになっていて然るべきなのだけれど、実際のところ僕は引っ越し直後から今日までの間、全くパソコンのキーボードを叩くことができなかった。この2週の間に観た映画や読んだ本の感想、ショックを受けた出来事、その他もろもろ考えたことはいろいろあって、言語化して書き残したいネタが頭の中にパンパンに詰まっているにも拘わらず。

なぜか。

僕の頭の中で言語感覚のチューニングがズレてしまっていたからだと思う。
より具体的に言うと、「関西言語圏での生活を再開したことによって、東京での生活の中で形成された言文一致的な感覚を再調整する必要が生じた」みたいな、そういう感じ。

ちょうど一年前、僕はこんな文章を書いていた。

このときはまだ「上京したらなぜか文章をかけるようになった(気がする)」というのがどういう現象なのか、その原因は何なのか、そういったことが全くわかっていなかったのだけれど、今ならなんとなくわかる気がする。

関西で生活しているとき、僕は関西の言葉で会話するし、関西の言葉で思考する。だから、いま僕が自分の思考をそのまま文章化しようとすると関西弁が出てきてしまう

関西弁を文語として扱うことは不可能ではない(じっさい、川上未映子さんはそういうことをやっている)けれど、難しい。試しにいまこの文を関西弁で書いてみよかなと思って書いてみてるわけやけど、なんも考えへんとなんかうさんくさい印象になってもーて、ほんまに言いたいことが適切に伝わらへんような気がするんやわ。やっぱり川上未映子さんぐらいのレベルに到達せーへんかったら、関西弁で綺麗な文章を書くことはできひんのちゃうかなと、僕としてはそう思わざるを得ないんや。

ふう。

文体を元に戻そう。

やっぱり、現代の一般的な書き言葉は関東の言葉に基づいている。だから、関西の言葉で物事を考えている場合、関西弁の思考を関東弁ベースの書き言葉に””翻訳””する作業が必要になる。

そう、ここで言文一致が崩れるのである。

おそらく、物心がついてからずっと関西語圏で生活して関西で文章感覚を身に付けた人であれば、その””翻訳””を無意識的に行ったり、あるいは文章化することを前提として物事を考えるにあたって関西弁ではなく関東弁で脳内思考を組み立てたりすることができるのだろう。

でも、僕にはそれができない。
僕は高校を卒業するまで(上京するまで)自分の言語感覚や文章感覚とまともに向き合ったことが無く、また関西で生活している間に真面目に勉強したり真面目に物事を考えたりしたことが無かった。僕の思考・言語化の回路はすべて上京後に関東語圏で生活する中で構築されたものである。
だから、関西語圏に戻ってきた今、関東-関西の間でずれてしまった言文一致の感覚をチューニングし直して、””翻訳””がスムーズに行われるようにしなければならなかった。

2週間ぐらい関西で過ごして、関西弁で話し、関西弁で物事を考え、それらの情報を処理し、翻訳し、咀嚼し……みたいなことを繰り返してようやく今みたいに文章を書けるようになった。ぶっちゃけ、かなりしんどかった。僕はもともと言語感覚に優れた人間ではなくて、むしろ実際のところかなり直情的で感覚的な人間だから、人並み以上に苦労したのだと思う。

でもまぁ、この多少の苦労をしたことはとても良かったと思っている。

なぜなら。

敬愛する村上春樹さんのことがより、少し、わかったような気がするからだ。

インターネット上にソースが見つからないのだけれど(確か村上RADIOだったような気がするが)、高校卒業まで阪神間で生まれ育ち早稲田大学進学時に上京した春樹さんは「関西で小説を書くのは困難だ」という発言をたびたびしている。また、「普段は関西弁を全く話さないけれど、新幹線で新神戸駅に降り立った瞬間に関西弁を話し始めてしまう」というような趣旨の発言もしていた(ような気がする)。

たぶん春樹さんも僕と同じで、東京に来てから言語感覚を形成した人なのだろう。そしてまた、関西弁がわりと強烈に身体に染みついている人でもあるのだろう。だから、関西に戻ってくると身体に染みついた関西弁と東京で形成した言文一致の感覚との間でずれが生じて、文章を書くのが難しくなる。

尊敬する偉大な作家と自分が同じだなどと言うのは烏滸がましいにもほどがあるけれど、春樹さんと僕には似たようなところがあるのではないか、と考えられるだけで僕はとてもとても嬉しい。

春樹さんは稀に文章のなかに関西弁を登場させる。短編集『女のいない男たち』に収録されている『イエスタデイ』では木樽という登場人物が関西弁でビートルズのYesterdayを歌うし、『一人称単数』収録の『ウィズ・ザ・ビートルズ』の主人公の十代の頃のガールフレンドの兄が関西弁を話す(どちらもビートルズ絡みの短編であることは偶然なのだろうか?)。木樽やお兄さんの話す関西弁のセリフは見事に自然だ。「関西人は確かにこういう言い方するよなぁ~」というようなポイントを至極的確に押さえている。やはり春樹さんは関西人なのだ。

僕も春樹さんと同じ関西出身者だけれど、春樹さんのような自然な関西弁は書けない。さっき試してみたけど、無理だった。やはり春樹さんは凄い。僕とはぜんぜん違う(当たり前である)。

ただ、関西弁で文章を書くということについてはやっぱり川上未映子さんの技量が圧倒的だと思う。その川上さんがさいきん世界作家としての地位を確立しつつあることで、遂に関西弁が翻訳元の世界言語になろうとしているのではないか……みたいなことを考えるとなんだかとても嬉しくなる。
いつか””関西弁文体””がオルタナティヴな日本語文体として確立されて、関西語圏の人たちの””言文一致””が達成される、かもしれない。そうなってくれたら、おもろいなぁ。


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