最終日 ロンドンと忘れ物
朝の8時に起床し、空港に荷物を預けてロンドン市内を歩き回った。
ロンドンは車のクラクションがひっきりなしに聞こえてくる街だった。人も多く、空気も汚い。喉が詰まりタンが溜まった。ロクに観光をできた気はしないが、もう行きたくはないな、と思わされた。
ヘトヘトになって空港に戻る。飛行機の搭乗券を発行するべく、カウンターでチェックイン。
と、「ワクチンの接種証明を見せてください」と言われる。行きは必要なかったのにな、と思いながら写真でいいか、と尋ねたら「専用のアプリじゃないとダメです」と言われた。
なんだかまずいことになったなぁと思いながら、一度カウンターの前から外れてアプリをインストール。このアプリ、使い勝手が悪くてアンインストールしちゃってたんだよな。
アプリの指示に従う。すると「マイナンバーカードにスマホを密着させてください」という文字が。
マイナンバーカードなんて、持ち歩いているわけがない。母にLINE。写真を送ってもらい、それをパソコンの画面に拡大表示しながらスマホで読み取ろうとするも、当然できず。
この時点で気持ちはかなり心細くなっていた。私は実はかなり気が弱いタチで、こう言うと「わりとどっしり構えてませんか?」と言われるが、そう見えるのであればそれは無計画ゆえの「なんとかなるっしょ」で楽天家に見えているだけか、単なる内弁慶である。
母と少し電話。「ごめん、予約の便で帰れないかもしれん……」と話す。スマホの充電も残り20%を切っているので、PCでの通話に切り替える。出来ることあったらやるから教えてね、と言う母に「とにかく、今ある材料でいけないか、交渉するだけしてくるね」と告げ、カウンターに再度向かう。
そこで私は
・ワクチンを既に3回打ったこと
・行きも韓国の同じ空港会社を利用したこと
・その際に接種証明書は必要ではなかったため、帰りの便の分は調べておらず、イギリスからの入国の際は接種証明書が必要ということを知らず、接種証明書を持っていないということ
・今用意できる分の書類では、海外で有効な接種証明書を発行できないこと
・そして、時間をかけても解決はしないであろうこと
・国内で有効な書類の写真は母に送付してもらったので、それを見せることはできること
を説明する。すると、ウンウンと話を聞いてくれた受付のお姉さんが「ちょっと待ってね」と内線を手に取り何事か囁いた。すると、私の背後から偉そうなオバさんがヌッと現れた。
受付のお姉さんと私でわけを話す。受付のお姉さんがオバさんに「日本語読めましたよね」と尋ねた。「いや、読めないわよ」と笑ってオバさん。
読めないんかい、と思いながらも、悲痛そうな私の表情が効いたのだろうか、「とにかく見せてみて」と言われた。母に送ってもらった1.2回目の接種証明書を見せる。「1と……2と、モデルナは読めるわね。3回目の分はある?」「すいません、3回目の証明だけ自分の部屋にあって、今母が探してくれています。もう少し待ってください」
そう告げて、少し離れる。母にLINEする。「リビングのソファ脇のところのクリアファイルに入ってるはずだけど、一旦お母さんの3回目の接種証明送ってくれない? 誰も日本語読めないからいける気がする」My、世界最強のセキュリティを誇るヒースロー空港を騙しにかかる。
「すいません、ようやく見つかりました!」そう言いながら、父親の接種証明書を、名前が映らないように拡大して見せる。「ここ、3って書いてあって……」「OKOK、読めるわ、モデルナね!」気さくなおばさん、ほぼ確認せずにオーケーを出してくれた。
無事に荷物を預けて、手荷物検査場へ向かう。世界有数の厳しさを誇るとは本当で、手持ちの金属探知機で全身をくまなくチェックされたあと、かなりしっかりめのボディチェックを受ける。キャップを被った兄ちゃんにサムズアップされたので、サムズアップで返して荷物を詰め込み搭乗ゲートへ向かう。
一時はどうなることかと思ったが、無事に搭乗。母に感謝のLINEを入れる。
最後の最後に母に多大なる心配をかけてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。夜中の3時だというのに、起き出して探し物をしてくれた。そのおかげで今現在、飛行機の搭乗ゲートに並べているのだ、感謝してもしきれない。
ピコン、という着信音。スマホを開く。
泣きそうになってしまった。
私は連絡こそ欠かさないものの、基本的に計画性がない、そんな息子だ。ただでさえきっと不安な母を、さらに不安がらせてしまった。自分が不甲斐ない。
長い旅路。最後の使命は、両親に元気な顔を見せること。笑顔で「ただいま」を告げること。それだけ、それだけだ。
✴︎
ロンドンから韓国への飛行機が大幅に遅れ、韓国内で空港を変更する必要があった私は15kgの荷物を背負って地下鉄を駆け抜ける羽目になったりしたのだが、無事になんとか帰国した。
羽田空港の到着ゲートを抜けると、心配した両親が車で迎えにきてくれていた。たった2週間程度離れていたのに大袈裟だなあ、と思いながらも、笑顔で「ただいま」と言う。なんだかもっと長い間離れていたような気がするから不思議だ。
帰路、車内であれやこれやを話す。地名の難しい発音、物価が信じられないほど高いこと、酒屋の店員さんと仲良くなったこと……話は尽きず、あっという間に家に着く。
「卵と鶏肉と米を食べたい」と韓国での搭乗前にLINEをしたら、母は親子丼を作ってくれていたらしい。久しぶりの湯船で身体を温めて、缶チューハイとともに親子丼をかっ食らう。世界一おいしい親子丼だった。
両親と1時間ほど話す。もう寝る、と言うので、最後にもう一度だけありがとうと言った。
✴︎
以上。記録を全日書くことができた。何もかもが楽しすぎて、全てを書けはしなかったけれど、いつか自分がこの日記を読み返したとき、きっとアイスランドでの日々を懐かしむ一助となってくれるはずだろう。
3月21日 自宅の、人をダメにするソファに腰掛けながら。
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