備忘録 母が病気になりました
母とはそりがあわず、実家に帰るたびにささいなことで喧嘩をしてしまうので、片道2時間かかるのに、帰郷するときは泊まりではなく日帰りにするほどの関係だ。滞在時間は短ければ短いほど喧嘩する要因を作らなくて済む。喧嘩の要因は母のいちゃもんで、それに私が我慢できずにブチ切れる、というのがいつもの流れだ。そんな母のことは嫌いではない、と自分に言い聞かせている。だって育ててくれたのだから。その恩はわすれちゃいけない、と。
そんな母が、病気になった。
今年の6月後半に母からLINEで着信が入っていた。母からの着信はいまだに取るのが恐怖で(電話してる途中で絶対に喧嘩になるから)、億劫で、私はスルーしていた。すると兄弟のグループLINEに妹からメッセージが入った。
「お母さんが明日から2週間くらい入院するんだって」
あ、あの電話はそのことだったのか、と思った。出なかったことを少し後悔した。妹によると、母の頭の骨がうんたらかんたら・・頭の骨が溶けてるうんたらかんたら・・・父に聞いても病名が漢字だらけで難しくて読めないと言われたらしい。要領を得ない。とりあえず、実家の家電に電話すると、父がでてくれ、となりに母がいるということでスピーカーにしてくれた。
「お母さんが入院するって聞いたんだけど、どこが悪いの?」
聞いてみたが、説明は妹と同じだった。二人ともいきなりのことで病気についてあまり分かっていないようだった。とにかく2週間ほど入院することは決まっているらしい。実家から車で40分くらいのところにある大学病院だ。電話を切ってから、ヒントを頼りにネットで調べてみた。頭の骨、溶ける、病気。これで出てきたのが多発性骨髄腫だった。血液系のガンだそうだ。本来抗体を作りウイルスや細菌を攻撃するはずの形質細胞というものがガン化し、ウイルスを攻撃しないばかりか、役に立たたない抗体であるM蛋白というものを作り出す。と同時に、ガン化した形質細胞が骨の中を中心に体のあちこちで無秩序に増殖し、いろいろな臓器を害する。
7月あたまに、弟から兄弟LINEに着信があった。病院から電話があり、弟に病気の詳細を教えてくれたのだそうだ。先生から告げられた病名がまさしく多発性骨髄腫だった。しかも、めちゃくちゃ悪いらしい。詳しい説明は忘れてしまったが、20%あると悪いとされるところ、母は90%だった。その大学病院内でトップの悪さらしい。90%て・・・・。弟が、「笑うことじゃないけど、90%って」と少し笑っていた。悪すぎて笑うしかない。同感。けれど、電話を切った後、とてつもなく悲しくなった。2週間前くらいに母親と電話口で大喧嘩し、仲直りはしたのだが距離を置いていた。弟の「覚悟はしておいたほうがいいかもしれない」という言葉に、喧嘩している場合じゃなかったと後悔し、泣いた。
7月の前半に父と妹と弟が病院にいくということで、その日は旦那に子どもを預けて先生に詳しい話を聞きに行った。実家に集合し、弟の運転で病院に向かった。
厳しそうな女医さんと、ムードメーカーの看護師さんがわかりやすく話してくれた。ひと通り説明を聞き、治療方針も聞いた。若い人だったら骨髄移植もあり得るが、母は50代後半のため、薬でどうにか抑えていくとのことだ。体中の骨が弱くなっていて、何かの拍子に折れてしまうこともあるらしい。母がずっと背中が痛いと父に言っていたそうだ。湿布を貼って様子を見てたらしいが、病気の痛みだ。この病気に完治は無い。これから死ぬまでずっとつきあわなければならない。
コロナ禍で面会はできないと思っていたが、30分だけならと、先生が私たちが説明を聞いていた部屋に母を連れてきてくれた。久々に見た母の身体は一回り小さくなったように感じられた。頭の骨が一部溶けてしまい、おでこ部分がたんこぶのように盛り上がっていた。実際母は、庭の木におでこをぶつけてできたたんこぶだと父に言っていたらしい。点滴を腕に刺した姿が痛々しかった。みるからに元気がない。
母は日本人ではない。漢字を読むのは苦手だし、看護師さんから日本語で専門的な話をされても理解するのは難しいだろう。そのせいもあって、自分の病気のことをあまり把握していなかった。弟が、先生がする話を優しくかみ砕いて母に話っていた。しかし母は生返事だ。どれだけ大変な病気か理解していないから、病気を軽く見ている。正直、どうして2週間も入院するのだろうと思っているのだ。先生と看護師さんから、父と母が母の入院に必要なものを全く持たずに来院した、と言われた。2週間入院するのに、入院着も下着も持ってきてなかったらしい。病院で借りられる入院セット(入院着、歯ブラシ、箸などの基本的な物がひと通り入っている。しかし借りた日数分有料)でなんとか凌いでいる状態だった。私たち子どもは呆れてしまった。と同時にとても心配になった。病院では、先生と看護師さんがきちんと時間通りに薬の面倒を見てくれている。面会した日にはまだ抗がん剤を使用していなかったが、次の日から使うことになると言っていた。抗がん剤は劇薬で、間違って多く飲んでしまったり、飲み忘れてしまったりすると大変なことになる。入院後は、その薬の管理も父と母でしていかなければならない。入院に必要なものを持参せずに来院した二人に果たしてできるのだろうか・・・。しかも父は70代後半の高齢だ。課題である。
先生がくれた多発性骨髄腫のパンフレットに、英語で病名を書いてもらい、私がスマホで英語で説明しているサイトをみつけ母にURLを送った。母がボソっと「Born Cancer」と言った。やはり英語のほうが飲み込みはいいようだ。とにかく、いまは母の入院に必要な物を買いにいかなければ。家族で揃うことはめったにないからと看護師さんに写真を撮ってもらい、母が病室に帰っていくのを見送った後、薬局とし〇むらをまわった。旦那と義母に母の病気のことは話していた。義母はとてもしっかりした方で、なにかに役立ててと3万円を送ってくれていた。ありがたく使わせてもらった。
シャンプー、リンス、生理用品(生理重い人なのに、きたらどうするつもりだったんだろう。プライド高いから看護師さんに頼むのつらいだろうに)、ティッシュ、爪切り、綿棒、飲み物、入院に使えそうな服6着、下着セット6着、靴下、小さめのバッグ、クロックス、などなど、合計で28000円ほどだた。母が持参してたらこんな買わずに済んだのに。そしたら3万円フルで渡せたのに。余ったお金は父に渡し、好きに使ってもらえるようにした。買ってきたものを受付に渡し、実家に帰った。
旦那と子どもが実家に来てくれることになっていたので、合流した。コロナで全く実家に帰れず、親に孫の顔を見せてあげられていなかったので、せめて父親にだけでもと旦那に連れてきてもらった。30分ほどの滞在だったが、妹の旦那と子どもも来たのでかなりにぎやかになった。私たちが帰ったら、父は一人になる。結婚して以来、一人になることはなかったから寂しいだろう。ごはんは自分でなんとか作ると言っていたが心配だ。病院で弟が父と二人きりになった瞬間があり、そのときに「俺よりさきに〇〇(父は母を名前で呼ぶ)がこんなふうになるなんてなぁ」と辛そうにこぼしていたらしい。そうだよね、きついよね。
父にはまた電話すると話し、解散した。
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