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竹生島③

神斎く島 竹生島。
前回は伊達家への繋がりを記した。
今回は時代の移り変わりとその背景を探ってみたい。
あくまでも私の見解なのであしからず♡

というのも、個人的に本能寺の変の経緯には秀吉が何かを握っている。と思ったから。


浅井家が滅亡した後、秀吉(木下藤吉郎)は戦功によって浅井家の領地の大部分を与えられ(羽柴秀吉)と名乗り、翌年長浜城を築城しはじめた。築城のため領内の住民をあつめ、竹生島の材木を運んだりした。


この時に秀吉は何かを知った。何か確信を得る物を知った。と私は勝手に思う。。

それは神祇信仰。秘技秘伝。秘宝の存在。妖力。なんちゃって。


この長浜城、秀吉が滅亡すると跡形もなく取り壊されている。当時のお城の絵図面などものこっていない。
何故残ってないのだろう?
秀吉の基盤となる要を抹殺しなければならないことがあったということ?

長浜城は琵琶湖のほとり東岸、長浜市に位置していた。

実はこの城面白いなと思うことをみつけた。

緑の直線の最終地点は長浜城跡地。

#:2は比叡山延暦寺

では#:1は…?


もうわかるかな?



そう!京都御所

面白い!
鬼門の方角にあるんだね。

京都御所の鬼門の方角ぴったし当てはめる技術を持ってたんだね。


比叡山延暦寺は御所の鬼門封じとしての役割はよく知られてるが…長浜城。うん、興味が湧いてきた!

ついでに。
竹生島の唐門の先にある観音堂には観音様が祀られている。本堂の弁天様と同じ60年に一度ご開扉される秘仏になっていて厨子の中にいらっしゃる。
厨子の前には前立本尊で、菊の御紋が印象的。


千手千眼観世音菩薩


でで、この前立本尊の背後には…
なんと……。



豊臣家の家紋
五七桐紋があるんだそう!
関係者なら観れるだろうなぁ。。
みてみたい!なぁ。

そして、それ+α
観音堂の天井にも…

菊花御紋と豊臣家の家紋。

これは大阪城の極楽橋の現存物。

だとすると長浜城にも何か仕掛けられてるものが…あったんじゃないかと。ここ発掘調査するときっと面白いと思う。


そして秀吉のその目的は

秀吉は天皇家を鬼門から踏込み包囲し、天皇家をも操りたかったってことだと思わざるをえない。
若くは、秀吉は猿とも呼ばれてた。まさる(魔去る)としてお役目を果たしたかったのだろうか?

秀吉。お主なかなかやりおるな。


秀吉は農民から這い上がってきた武将として有名だが、出世するきっかけとなったのは戦ではなく、意外にも城の修理、そして築城。その功績ゆえ織田信長の重臣へと出世していった。


このことから大工職人、石工職人との繋がりがみえてくる。
石工職人といえば穴太衆。安土桃山の築城にも携わっていた集団。穴太衆は近江周辺に住居を構えていた。

石工…色々なことが連想される。
秀吉は織田信長に仕える頃には何か噂を耳にしていたはず。天皇家ゆかりあり、妖ものと人。


というよりもどの戦国武将も我こそ天下人!と、争う背景には何かを其々に知っていたからだと思う。
人間たるもの野心欲望途絶えず。
先ずは日本を統一。そして世界を…。


秀吉の欲望は歯止めを効かせなくなっていった。

その為に四国、中国へと視野を広げていくこととなる。

そこで大事になってくるのが

陰陽道。
私は陰陽道について良く知らない。
だが、やはり探究心は抑えられない。きっと結びつく何かがあるはずだから知識を増やしていこう。


そして…調べていくうちにこれまた秀吉は面白いことを色々教えてくれる。
結局白兎へと導かれていくようだ。


竹生島④へつづく。






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