人間になりたくないのは欲望が嫌いだから
世界が美しいことに気づいたのは確か中学生のころで、それを表現する手段として文章を選んだのは、ぼくにはそれ以外に何もなかったからだ。
今となっては何故こんなに苦しみながらアウトプットに勤しんでいるのか忘れてしまった。ただ、書くことを思い立った当初からそんな物はなかった気がする。突如何かが飛来して、ぼくに書くことを義務付けただけかもしれない。
ずっと昔から、発信をやめた瞬間に死ぬという強迫観念がある。
当時のインターネットは誰でも誰にでもなれたが、誰も何者でもなかった。だからこそぼくはぼくに特有の(あるいはありふれた)思想を誰かに伝えようと躍起だったのかもしれない。
その態度は交流の場が登録制SNSサイトに移ってからも変わらず、様々な交流サイトやゲームの専用SNSで日記を書き続けた。
お陰で各所にぼくの過去が散らばっている。それら全てを関連付けられるのはぼくだけだが、今でも月に数度カウンターが回っていたりする。誰かが懐かしみに来ているか、あるいはGoogleのクロウラーか。
ともあれ、今ぼくはこうしてnoteに書いているわけだけど、とにかく落ち着かない。ん? この話前にもしたな……。
ぼくはこんなだから、社会の主流側に立ったことがなく、いつも逆張りオタクだ。望んでなったわけじゃない。ぼくの好きなものが、大衆に受け入れられていないだけだ。
ぼくのしあわせは、社会全体のしあわせと一致していない。
noteが落ち着かないのは、こんなぼくですら主流側に立たされようとしていることだ。
もっと砕けた言い方をすれば、PV数が多すぎる。大した記事を書いているわけではないのに、週何千アクセスがあるのはどういうことだ。いやまぁゲームの記事とか書いてたからそちらの方に人が集まっているだけなんだけど、別に今流行りの……みたいなゲームは取り扱っていないと思った。思ったのに。
落ち着かない。ぼくは少人数コミュニティを渡り歩いて生きてきた。あるいは、気の合う友人数人だけのコミュニティを飽きるまで運営してきた。
すでに出来上がったコミュニティに入って、心の底から楽しめるような人間ではない……ということの裏返しでもある。
あのネトゲではギルドは自分で作った。あのネトゲでは集団への所属を拒否して世界の端っこに家を建て閉じこもった。あのゲームではどのチームにも所属せず、傭兵として各所で遊んだ。
有名になんてなりたくない。必要な人にだけ届いてほしい。でも、手の届く範囲の人にはしあわせでいてほしい。そのためだったらなんだってする。
でも、注目されるとそれはそれで嬉しい。
これが厄介なところで、ぼくはまだ人間の欲求を殺しきれていない。凡百な言い方をすれば、承認欲求というのがまだぼくの中にある。
承認欲求というのは、他人に気取られると最もダサいものだと思っている。それをあけすけにすることやAmazonのほしいものリストを公開することは、死んだほうがマシなくらいダサいと思っている。
なぜなら、それはこの上なく臭い人間の欲求だからだ。
ぼくは人間になりたくない。
シャニマスの記事を立て続けに書いたわけだが、これはぼくのアウトプット欲によるものなのか、PVが欲しかったからなのかわからなくなってきた。
こんなことになるくらいなら、チラシの裏にでも書いておけばよかった。ナナシスの時はそうしてきたのに。
チラ裏に帰りたい。ただし、本当に情報を求めている人だけはリーチできるような、そんなチラ裏がほしい。ぼくは知っている、世界に自分ひとりしかいないんじゃないかというような孤独の中、似たような意見のブログを見つけた時の救われた気持ちを。
だから、ぼくを書く機械にしてくれ。人目を気にすることなく、無益で共感もされない、それでいて世界に2,3人くらいは読んでくれるような文章だけを書き続ける機械にしてくれ。
もう人間になりたくない。
でも、自分の意見を発信しない者は存在しないも同義だ。
誰にも見向きされない表現をし続ける機械になりたい。
許してくれ。ぼくをもう見ないでくれ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?