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100ページで媚薬に変わる読書
初めて読む作家の小説は、最初の50ページがいつもしんどい。〈息苦しいな…〉と思ったら、実際息をしていなかった。1行、1節、1章ごとに、休憩を挟む。そして深呼吸する。
慣れない文章を読むという行為は、頭脳の負担なのだ。
小説は、書き手のクセがすべての文章に乗っている。その文章すべてが脳に血をにじませて書いた「魂」なのだということを、ジャンルは違えど文章で生活している私は知っている。
彼らが生み
読書好きの謎行動「積読」は恋の味
本が好きな人におおよそ共通する文化があります。本を買っただけで読まずに積んで置いておく「積読」です。読み方は「つんどく」。「読まないんかーい!」とツッコミたくなるこの状況をダジャレで表現した言葉です。
積読は、様々な著名人たちが肯定的に言及しており、すでに市民権を得ています。「積読は立派な読書の形態だ」などという無理筋な主張も、読書好きには好意的に受け入れられている模様。
本が好きじゃない人か
想像力を育てるのは小説じゃなく漫画
「読書は想像力を育てる」なんて、いったい誰が言ったのだろう? この場合の「読書」とは、おそらく小説を指している。
小説を読むと想像力が育つ? そんなのはウソだ。小説を読んでも、想像力は育たない。文章だけで想像力を育てた人がいるとしたら、駄作ばかり読んでいたのかもしれない。
たとえば私は、「漫画」を上手く理解できない。「漫画の本」自体は好きなのだ。好きではあるのだけれど、半分以上を理解できない。
私を創るコーンスープ
毎朝、コーンスープを飲む。
コーンスープと言えばもったりとろとろの液体を思い浮かべるけれど、あれは上等なコーンスープだ。残念ながら、そんな濃厚なコーンスープを日常的に楽しめる身分ではない。粉末を湯で溶かすタイプのコーンスープ。それが私の日常である。
部分的にきつね色に焼けたトーストを手でちぎりながら、インスタントのコーンスープに浸して食べるのが好きだ。焼いたパンのカリっとした食感と甘くて軽いス