シネマレビュー用アウトレイジ_ビヨンド

映画レビュー『アウトレイジ・ビヨンド』

映画レビューまとめ。


(2013年4月13日レビュー作成)

1989年、『その男、凶暴につき』。
2001年、『BROTHER』。
2002年、『Dolls』。
2003年、『座頭市』。
――そして2010年の『アウトレイジ』。

北野監督の描く『ノワール』は、回を重ねてもブレることがなく、徹頭徹尾容赦が無い『ノワール』だと思う。

どこかが必ず壊れている主人公たち。
破滅にしか向かうことのない物語。
容赦の無い、死と暴力。
そして、ファム・ファタル(男を破滅させる運命の女)の存在。 

このどれもが物語の鍵になっていてこその『ノワール』であり、今回の『~ビヨンド』もまた、そういう意味では上記の系譜に在る作品だろうと思う。

だが、しかし。
そうなってくると問題はその、ファム・ファタルたる存在なのである。

この『アウトレイジ』2部作は、そのほぼ全てが男性俳優のみで作られていて、女性がキーパーソンにはなりえない。
ならば、この作品の中で、それに準ずる存在は誰か、と言うと――


その前に一つ。
前作『アウトレイジ』を観た時、私がその存在を勘違いしていた人物が居る。 片岡刑事(小日向文世の名演!)だ。

前作では要所要所に現れるのみで、文字通り小細工しか仕掛けてなかったこともあり、どちらかと言えば『道化師』か『狂言回し』の役回りなんだろう、と思っていた。
しかしそうなると、ファム・ファタルたる存在は石原(加瀬亮ナイス演技!)か加藤(三浦友和の本気を見た)くらいで、まあそれはそれで……なんて考えていたのだ。

それが、今回の『アウトレイジ・ビヨンド』では様相を大きく様変わりさせていた。
なんせ今作では石原も加藤もただただ事態に振り回されるのみで、そこには前作のようなファム・ファタル的要素は一切観られなかったからだ。

では、誰がファム・ファタルだったのか。
改めて物語を振り返ってみよう。

前回の『アウトレイジ』では、主人公は大友であり、ファム・ファタルは石原。そして全てを終わらせる『機械仕掛けの神』は加藤だった。

そして今回の『~ビヨンド』における『ノワール』の主人公は、加藤であり、全てを終わらせる『機械仕掛けの神』が大友であれば――
やはりファム・ファタルは片岡刑事しか居ないだろう。

そう。
視点が180度変わってるのだ。

もっとも、それほど大騒ぎするような話ではない。
古来から、前作の復讐を続編で完遂する物語の場合、視点を復讐者から被復讐者中心に切り替えることは多かったからだ。

しかしこの手法、被復讐者が魅力的でないと映画そのものの魅力が薄れてしまうという弱点もあるのだが、その点についてはこの『~ビヨンド』は問題がなかった。

なんせ全員が魅力的な悪党である。
いつどこでサヨウナラしても不思議じゃないし、いっそサヨウナラして欲しいと思わせるだけの悪党である。
これならこの視点でも全く問題がない。
そういう意味でも、今作は見事な『ノワール』だったと思う。

ただ。
ただ惜しかった点が一つだけ。

北野監督、映画製作の経験を積むことで、編集にも熟練さが出てきてると思うのだが。
逆に熟練さが目についてしまう、というか、
初期の頃のスタイリッシュさが薄れて、それこそ『昭和の邦画』に近づいている気がする。
それだけが、個人的には惜しかったかな、と思う。

でも、面白かった。
『ジャパニーズ・ノワール』の難しさは以前も日記に書いたが、今作は前作と併せて、見事な『ジャパニーズ・ノワール』を作り上げていると思う。

あ、だからといって、シリーズ化は止めて欲しい。
ここで終わるからこそ、作品として完成してるから。

おねがいしますよ、北野監督。

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