昔の日記から。


ども、ならざきです。

今日久しぶりにmixiの自分の日記を漁っていたら、こんな日記を見つけました。
書いたのは去年の10月頃なんですが、自分ではすっかり書いたことを忘れてて。

読んでてつい、今でもぜんぜん変わらないなぁ、と苦笑いしてたんですが、せっかくなのでここに晒しちゃおうかと思いまして、以下にコピペしておきます(笑)

ちなみに月マガは私の愛読書です(笑)



「ましろのおと」という漫画に、こんなセリフがある。


「もし 自分にない音を鳴らされたら
 刺激を受けるけど
 同時に嫉妬もする
 あの感覚は 苦しくて醜くてとても嫌なものだ」



この台詞に共感を覚える人は多いと思うが、
この台詞には足りないものがある、と思う人もまた多いと思う。

その足りないものとは何か。

「でも その感覚があればこそ 更に高みへ上ることが出来る
 僕たちは自分の音の中で生きている
 他の生き方はできないし する気もない 
 苦しくても醜くても それでも前に進むしかないのだから」

音楽だけじゃない。
漫画にしても、小説にしても、短歌や俳句にしてもそう。

それが『本気』というものであり、『覚悟』というものであろうと、最近とみにそう思う。


「僕らはまだ 旅の途中にいる」

『四月は君の嘘』という漫画の台詞が、ふと脳裏に浮かぶ。

「君は忘れられるの?」

同じ漫画の別の台詞が、続けて脳裏をよぎる。


私は、書くことが好きだ。
だから、書き続ける。
例え次の一言が思い浮かばなくてのたうち回っても、
思考のスパイラルに陥ったとしても、
書き続けることで周囲から人が去っていったとしても、
それでも、ただひたすらに書き続ける。


不器用な私には、これしかない、と解ってるから。

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