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国家総力戦を描いた女性画家たち・「大東亜戦皇国婦女皆働之図」~戦争画よ!教室でよみがえれ㉘

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ 

(6)国家総力戦を描いた女性画家たち・「大東亜戦皇国婦女皆働之図」ー戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究⑨

大東亜戦皇国婦女皆働図(秋冬)

 これは『大東亜戦皇国婦女皆働之図(秋冬の部)』という。

 この絵は総勢25名の女性画家たちによる共同制作によるもので、この絵とセットでもう一枚(春夏の部)がある。

大東亜戦皇国婦女皆働図(春夏の部)

 2枚合わせて総勢44名の女性画家が参加している(どちらにも参加しているのは5名)。

 見てわかるように、戦時中の「銃後」の生活ぶりが一枚の画面の中にモザイク状に描かれている。その一つ一つの仕事ぶりや描き込まれているアイテムをつぶさに見ていくだけでも楽しいが、元教師の目線で言うと、当時のようすを観察できるこの絵は歴史学習の「戦時下の生活」の教材として有効である。

 じつはこの絵の制作意図についてはこの絵の裏側に次のように書かれている。

 大東亜全民族の興亡を決する今次の戦争も今や決戦決勝の機せまりたる時皇国の婦女が銃とる男性にかはりてあらゆる部門に皆働する情況を合作によって後々の記録の一助にもと集成描写したるもので、この合作様式を創意工夫し以つて一図にまとめ上げたのは画界最初の試みである。(以下略)

 ここ引用したのは(春夏の部)のもの。(秋冬の部)の書き込みにもやや表現が違うが、同じ趣旨のことが書かれている。つまり、この絵は「銃後」の国民生活を記録するために描いたものであり、従軍する男性に代わって女性が社会のあらゆる場面で活躍、奮闘する姿を描いた〝女性賛歌〟であると言ってよいだろう。女性史の観点からも歴史教材として適切であることがわかる。

 吉良智子氏は自著でこの絵の特徴は3つあるとしている(吉良智子『戦争と女性画家ーもうひとつの近代「美術」』発行ブリュッケ・発売星雲社 2013年)。

①大画面
 ただし、歴史画のような「大構図ではない。画面を細分化し、多種のモティーフを描き込んでい」る。
②共同制作
 「当時のシュルレアリスムをはじめとした前衛美術ではむしろ最新の手法のひとつ」
③フォトモンタージュの手法
 制作に参加した桂ユキ子が下絵を担当。「当時の新聞、雑誌、グラフ類には、働く銃後の女性をテーマにした、「戦時下に働く農村女性」、「女性消防団」「女子学生旋盤工」、「女子踏切番」その他さまざまな仕事をしている女性の写真がよく載っていたので、その写真をただ切りとって、大きな紙にベタベタ貼りつけたら、たちまち絵ができちゃったんです。コラージュですよ。それをひと月もふた月もかかって、みんなすこしずつ分業して描いたんです」(「インタヴュー 桂ゆきの四十年 コラージュと風刺的絵画の間で」『みづゑ』893号 1979年8月より)

 ありがたいことに吉良氏は同著で絵に描かれているすべての労働等の職種を調べ上げている(p184~185)。これは教材研究する上でたいへん参考になる。

(春夏の部)①防空訓練②製図③海外報道調整④戦闘機生産⑤田植え⑥女流美術家奉公隊の行進⑦傷痍軍人慰問⑧化学工場⑨旋盤工⑩砲弾生産⑪銃剣生産⑫女性鼓笛隊の行進⑬養蚕⑭農業⑮造船⑯選炭⑰麦刈り⑱物資の運搬⑲漁業⑳塩業㉑海女

(秋冬の部)①畜産②手旗信号の訓練③稲刈り④供木⑤軍事訓練⑥家内労働⑦共同炊事⑧落下傘製造⑨千人針⑩靖国神社に参拝する従軍看護婦⑪託児所⑫家庭工場⑬路面電車・バスの乗務員⑭小売店販売業⑮鍛冶⑯補助翼の羽布張り⑰炭鉱⑱建設業⑲金属供出⑳理容業㉑郵便配達

 第一次世界大戦以降、戦争は「国民総力戦」になったと言われている。

 それまでは純粋に兵士の能力や軍隊の規模によって勝敗が決まっていたものが、近代兵器の登場によって大量生産と技術向上が結果を左右するようになった。それゆえ、軍事力のみならず政治、経済、科学技術など国力のすべてが勝敗の結果や国家存亡と結びつくこととなった。

 「戦時下の生活」の学習はこの「国家総力戦」というキーワードで教えることが肝要である。ここの学習は戦時下の生活は「苦しい」「つらい」「悲しい」等きわめて情緒的な学習のみに陥りがちだ。しかし、上記『大東亜戦皇国婦女皆働之図』を教材にすればこの「国家総力戦」を具体的にイメージすることができる。そこに描かれた労働の種類を調べ、この絵を描いた当時の女性画家たちの意図を考えさせる授業ができれば、これまでの学習とは違うものができるはずである。

 吉良氏も以下のように言う。

「当時のアートシーンから俯瞰する時、《皆働之図》はさまざまな最新の前衛的手法を踏襲していることがわかる。全体として《皆働之図》を見た時、後述するように東アジアにおける伝統的様式である日月山水画に倣って太陽の描かれた〈春夏の部〉を右隻、月の描かれた〈秋冬の部〉を左隻に置くならば、国力を支える農業、漁業、鉱業をテーマにしたモティーフを画面の周囲に配置し、画面の中央部にベルト状に戦争を直接支える産業や活動を集中させている。総力戦継続への意思表明であるとともに日月という伝統的形式で飛行機や落下傘製造に代表されるモダンなモティーフや前衛的手法との融合への試みであるとも考えられよう」(p193~194)

 この絵の教材化に吉良氏の研究成果は欠かすことができない。しかし、この絵に対する氏の次のような解釈には疑問符が付く。

「このような南方で生産されるバナナや中国風の建物は、すべて日本が八紘一宇の名の下に侵略した土地をイメージするものばかりである」(p197)
「同盟国であったドイツが通信先としてひっそりと文字でのみ暗示される一方で、中国のように日本が侵略していった国は、イメージとして表象されたことは、侵略した土地を眺め支配する視線が《皆働之図》に表されているからだろう」(p197)
  

 私が付ける疑問符は、ここで言う「侵略」とは何か?どのような定義でこの言葉を使っているのか?ということだ。いやしくも研究者であるならば言葉は正確に使わなくてはならない。

 ここに出てくる「南方」はイギリス、フランス、オランダ、アメリカ等に愚民政策による植民地にされていた。その「南方」=アジア諸国を題目は何であれ結果として解放したのは間違いなく日本だ。

 すでに引用したものだが、もう一度イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーの言葉を紹介しよう。

「日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである」(1968年3月22日「毎日新聞」) 

 この日本の行為が「侵略」だというのか?

 そして「中国のように日本が侵略していった国」と言うがそもそも当時、中国大陸にはまともな近代国家などない。あるのは暴れまわる馬賊・匪賊の集団と国家もどきの地方軍閥と中国共産党、そして国の体を成していない国民党政権があるだけだ。無秩序の極みだったのである。

 そこに住む自国民の生命と財産を守るために出動した日本軍を「自衛」と言わずして何と言おう。これを「侵略」とは絶対に言わない。

 もし他国に軍隊が入ったことを「侵略」というならば日本人居住区に攻め込んだ中国人兵士も日本へ「侵略」したのであり、日本の各都市を日本領土上空から無差別爆撃したアメリカ軍も「侵略」、北方領土に侵攻したソ連軍も「侵略」、日本が解放したインドネシアに再び軍隊を送り込んだオランダ・イギリスも「侵略」である。

 なぜこれらを「侵略」と言わないのだろう?なぜ日本の行為にのみ「侵略」という言葉を使うのだろう?これをダブルスタンダード(二重基準)と言う。

 安易に「侵略」という言葉を使用して自分の絵画解釈を正当化しようとするのは知的怠慢というものである。

 

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