「絶望=苦悩-意味」~東日本大震災が私たちに問いかけているもの~


今年の3月11日で東日本大震災の発生から10年が経ちました。

その日は、10年という時間の経過とともに変化してゆくもの、あるいは変わらぬもの、様々な思いが交錯する中で生き続けている人たちの思い·想いに触れた一日となりました。

この日私は、K2インターナショナルグループ(以下 K2グループ)主催の
「3.11~東日本大震災から10年~うんめえもん市報告会&交流会」
という催し物に出席させていただきました。

長く若者支援を続けてこられたK2グループさんですが、東日本大震災が発生した当初から現地に駆けつけ、現在では「忘れないこと・続けること・進化すること」という思いを軸にして若者支援と復興支援とを結びつけた様々な活動に取り組まれております。
会の中ではその活動の経緯や活動に込められた思いを伺うことができ、参加者の方のお言葉にもありましたが、続けること、進化することの根底にある人々の熱い思いに触れました。

実際には、石巻市渡波を拠点に現地でのつながりを大切にした定住支援や就労支援などを行う長期滞在型復興支援といった形の取り組みの中で、若者の力を生かしながら被災地でのコミュニティづくりを基盤として長期的な地域再生を目指す取り組みがなされていることや、横浜市内各所で石巻の特産品の販売や特産品を使ったお弁当、お惣菜、デザートの製造販売といった取り組みを通して若者支援と被災地支援に尽力されている様子を垣間見ることができました。
「支援」から「支縁」へ、というプロジェクトの目的や、「忘れないこと・続けること・進化すること」といった標語からも活動に込められた想いが感じ取られます。

前述の石巻の特産品や特産品を使用したお総菜などはネット販売もされているようなので、最後にショップのURLを載せておきますので、その豊富なラインナップをぜひご覧いただけましたら嬉しいです(^ヮ^)!

もともと今回お声掛けいただいたのは、昨年の冬頃にK2グループさんが発行されている機関紙内のインタビューコーナーに私のインタビュー記事を掲載していただいたことがきっかけでした。
このコーナーの趣旨は、K2グループさんと関わりのある方々が東日本大震災やK2グループさんが実践している若者支援×被災地支援の取り組みに対する思いや考えを語るものとなっており、これまでに様々な方がその思いを語られています。

正直なところ、このお話をいただいたときに引き受けていいものか迷いました。
というのも私はこれまでに被災地を訪れたこともなく、被災された方々とお話をしたこともなかったことから、「私に語る資格があるのだろうか?」と考えてしまいました。
いずれにしても気軽に引き受けられるお話ではなかったことは確かです。
しかし、打ち合わせの中で
「美談ではなく、むつみさんの経験から生きづらさを抱えている若者や被災された方々へ勇気を届けられるようなインタビューになれば」
というご意見をいただいたため、「それならば」と思って引き受けました。

インタビューでは10年前の東日本大震災と当時闘病中のみであった自分と、それからの人生とを重ね合わせていました。
そこで最終的にはお読みいただいている方をエンパワメントできるような内容にしたいと思い、自分のこれまでの経験から、そして復興の過程から学んだこととして
「人には前を向き歩んでいくたくましさがあること、そして新たな可能性を模索し生み出してゆく創造力があること」
ということを述べました。

そのインタビューから3か月が経ち、3月11日当日の朝を迎え、これまでに被災された方々が積み重ねてこられた10年間の想いがテレビを通して伝えられてきました。
そこには、復興の裏にある震災当時と変わらぬ人々の思い、立ち止まったままの時間、行き場のない怒りを抱えながら暮らしてきた月日、10年という歳月の経過が決して万事を解決する手だてではないこと、いまだに解決のつかない課題を抱えたままの現実があることとその渦中にある人々の姿が映されており、そのような被災された方々の声を聴いていたら自分がインタビュー内で伝えようと思って述べたこの一文がなんだか綺麗事のように思えてしまい、改めて立ち止まって震災について考えさせられる機会となりました。

そこで私が出した結論としては、「人には前を向き歩んでいくたくましさがあること、そして新たな可能性を模索し生み出してゆく創造力があること」という事実を認め、それを言葉として伝え残すことに意味があるという答えに落ち着きました。

そう思わさられたのは、苦しい思いを語られる方々が、その苦しい思いを抱えながらも現実にこうして毎日を生きられている事実があり、そこに希望を見出すことができたからです。

「絶望=苦悩-意味」
こんな方程式があります。
これはオーストリアの精神医学者ヴィクトール・E・フランクルが彼の著書『意味への意思』(春秋社 2002)の中の注釈部分に記したものだということです。
彼はナチス政権下のドイツでアウシュビッツ強制収容所に囚われていた体験から本書の執筆に至ったという話です。
そしてこの方程式と共に、「つまり絶望とは意味なき苦悩である」という一文が書き添えられているということです。

数年前に読んだ福島智先生の著書『ぼくの命は言葉とともにある(9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)』(致知出版社 (2015)の中でこの方程式とともにフランクルの考えに言及されており、このことが私の記憶に残っていました。
残っていたというか、私の人生のアップデートの際の重要な要素のひとつだったかなと思います。

フランクルは“人が生きる上で実現する価値”を次の3つに整理しました。
①創造価値
②経験価値
③態度価値
創造価値とは何かを生産するような創造的な活動を指すものであり、それらの行為を通して世界に何かを与える行為に伴う価値を意味します。
このような与える行為ができないとしても、何か美しい風景を見て感動するなどといった行為に伴う価値が体験価値に当たるとされています。
そして、態度価値はこれらの創造的な行為も素晴らしい体験も制約され、生命が大いなる苦悩に直面したとき、その苦悩にどう対処するかによって実現されるものだと定義付けられました。
フランクルはこの態度価値を3つの価値の最上位に置き、色々な制約や制限が課されたときに、自分の生に対してどのような態度をとるかということの中にその人の最も根源的で最も崇高な価値があると主張しました。

福島先生はフランクルのこのような思想をを端的に言い表すものとして先述の方程式を取り上げ、さらに
・「絶望」と「苦悩」は異なる
・「苦悩」には意味がある
ということがこの方程式の中では示されていると仰られています。

そして最終的に福島先生はこの方程式から次の方程式を導き出されます。
「意味=苦悩+希望」
これは絶望と意味を移行操作し、「希望」を「絶望」の反意語として当てはめた公式であり、そこで福島先生は
「苦悩の中で希望を抱くことの中に人生の意味がある」
といったことを述べています。

福島先生自身、若くして視覚と聴覚を失っていくという極限の苦悩の中で自問自答し、その苦悩に対して意味を見出していく過程を振り返る中で、自身の体験とフランクルの公式がリンクしてきたと語られています。
また、福島先生は「時代背景や直面した状況、その苦悩の程度もまるで違うけれど、どこか似ている部分があると思った」というようなことも仰られています。
わたしは福島先生が体験されたこのような感覚と近しい体験を、東日本大震災で被災された方々の人生に思いを巡らす際に得ているように感じました。

この公式が示すものとして私が面白いと感じた部分は、そもそもが人生は「苦悩」ありきだということです。
ゼミ室で教授とこの話をしていた時にも、
「この世に生まれてくること自体が人生の中で最大の危機であり苦悩だ」
というお言葉をいただき笑ってしまいましたが、程度は違えど誰しもが苦悩の中でもがきながらそれでも生きることを続けているんですよね。
なんていうか、そもそもが苦悩ありきだとしたら、その「苦悩のゲーム」をいかにして輝かせるかの闘いが人生と呼ぶのかな。
とか、それっぽいこと言っちゃいますけど((笑)
それだからこそ、人々は共に支え合い、共に苦しみ、共に喜びを分かち合いながら生きていけるものなんだろうということ、震災という危機が人間としての根源的な価値について改めて私たちに問いかける出来事であるという意味付けをしたいと私は考えます。

どんな状況でも常に意味を見出し、新たな人生を創り出していけるということ、人間の誇りであると思います。
そしてその土台には、その人がそれまで積み重ねてきた人生があります。

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やっぺす通信Vol.109
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参考文献
『ぼくの命は言葉とともにある(9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり
考えてきたこと)』(致知出版社 (2015) 第1章、第6章



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