210910 あばばばば

俺は『軽んじられたくない』という感覚が(おそらく)人よりかなり強い。

これの根っこは深い。とにかくナメられたくない。ナメてくる人に対しかなり強い感情を持ってしまう。


容姿、学力、身体能力、家庭環境、経済環境。いずれのコンプレックスにもあてはまることだが、そのコンプレックスを持つこと自体が自認なんだ。

たとえば、『運動ができないと思われたくない』という恐怖は実際に運動が得意でない人が持つものであって、周囲と比べて相対的に運動が得意な人は(基本的に)こういう感覚を持たない。

俺が『人に軽んじられたくない』という感覚を強く持っているのは、実際に『自分は軽んじられている』と感じる機会が多かったからなんだろう。主に学生時代、精神的に成熟していく過程でそういう経験を多く味わったのかもしれない。具体的にこんなことがあったとかはあまり思い出せない。

界隈のインターネットボーイズと同じように私も日陰で過ごすことの多い学生時代だった。50mは9秒。まあ、そりゃあね。そういう役割だ。

その実際、俺が人から軽んじられていたかという問題ではなく、これについては自分がそうだと感じていたことがすべてで、俺は当時そう感じていたんだろう。それがいまでも尾を引いている。

もちろん誰だって人からナメられるのが嫌なのはそうなのだが、俺は『ナメ』に過剰反応してしまう。刺激に対して抗体が過剰に出てしまうのがアレルギーなら、これはアレルギーだ。普通の人ならぜんぜん許容できる量でも反応が出てしまう。

客観的に見て、今の俺は学生時代の根暗なメガネよりは軽んじられにくい姿をしていると思う。実際にそういう機会はずっと減った。見た目の影響力はとても大きい。

なんというか、防衛をしている。『社会的にちゃんとした人』とされる姿と態度をまとって擬態している(みんなそうなのかもしれない)。

ちゃんとした人っぽい振る舞いをして、ちゃんとした人っぽい服装をし、ちゃんとした人っぽい表情をしている。威圧的・攻撃的ということではなく、『コイツはナメていい』というターゲットにならない範囲で生きるようにしている。


それでも、俺のよくないところ、俺の心のよくないところは、実際には俺をナメているわけではない人に対してもこの反応が出てしまうことがあることだ。

俺はあいさつを返されないと『ナメられてる!!』って強く思う。本当にめちゃめちゃ思う。血が加速する。

当然みんな良い気持ちはしないだろうけど、俺は、一度あいさつを返されないだけで、その人に対する心のシャッターが完全に閉まる。閉まったら最後、それはもう開かない。二度とその人に対して笑顔を見せなくなる。

正直いうと、あいさつのとき目を合わせない人もかなりイヤだ。過剰反応だと知ってはいてもナメられてるセンサーがピコンと鳴る。

実際こういう人たちがかならずしも俺をナメてるわけではないのは知っているしわかる。目上目下誰に対してもそうなんだろう。もしかしたら声が小さいだけで返してるのかもしれない。人の目を見るのが苦手なのかも。そうなんだよな。


いやでも「失礼だろキミィ!!」という俺の中の専務が顔を出すんだよ。

あいさつを返さないってシンプルにナメ100だから、俺はナメ100と受け取ってしまうから、心のなかでめちゃめちゃキレてしまうんだよな。

『こいつが猛犬に襲われても助けない』って思う。これが過剰な反応(アレルギー)なのはわかるんだけど、もう本当に、まさに反応なんだ。意識で制御できるものではない。


あいさつって本当に誰とでもするから、通常会話が発生しない間柄の人でもあいさつだけはするから、どうしても何人かに一人はいるんだよな。本当に「コイッ…ツ」って思ってしまうね。

俺が学生時代にナメられる側の人間じゃなかったらここまで過敏なリアクションをしていないと思う。怖いんだ、軽んじられることが。


だからもし俺と会う機会があったら、あいさつだけは返してくれ。俺もむやみに人を憎みたくはない。


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