藤原のパーフェクトオモコロ杯教室


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きた!!

全オモコロライター中オモコロ杯最多応募記録(4)を持つ私にこの依頼が!!

こうして依頼が来たんだったら堂々とオモコロ杯について話せるってもんよ!!やったやったやった~!!


総評ということなのでまず一言でいいますと


オモコロ杯 むじ~


年々むじくなってるな。レベルがどんどん上がっていってる。コロナでいろいろ制限があるのにもかかわらず、みんな記事がおもしろすぎんのよ。

みんなどこに隠れてたの? こえーよなインターネットてのは。いくらでも才能のあるやつがいるんだから。


上のほうの賞を取ってる人はもう褒められまくってるから、個人的に好きな銅賞の話をします。


この記事はオモコロ杯発表前に見てすげーおもしろかったので銅賞でびっくりした。もっと上になると思ってた。

マイクラで再現するのも楽しいしわかりやすいし新しいし最高。ネコもかわいい。構成も読みやすい。

しかもこういう取材って、お願いするときにたとえばオモコロとかメディアの名前を出せるとスムーズなんですけど個人のブログとかnoteだと相手にされないことが多いんですよね。それをちゃんと突破して納得のいく回答をもらえているのは読者としてうれしい。最高の記事!!!


これもいい記事よね。けなげで。

本当に大変そうだし。使用している電話もよく見たらおつり口があるので、家庭用でなく公衆電話的なものをわざわざ用意しているんですよね。たしかに家庭用の電話機と公衆電話機ってかなり見た目が違うから、ここはこだわったんでしょうね。素敵です。

なんだか読んでいて心地よいクラシックさですね。くだらない工作(悪い意味でなく)とテンション高く元気な感じで。ただこういうスタイルがどんどん過去になってきている感じはします。オモコロに限らず、インターネットの流れとして。



自分がいち読者としてオモコロ杯に応募してた頃の感覚だと、記事書きの基礎ができていれば銅賞(佳作)はもらえる雰囲気がある。そしていまもその様子は変わってないと思います。なのでここまでは自己研鑽でなんとかなるんじゃないでしょうか。

銅賞まで行けてない人は、自分がおもしろいと思う記事をたくさん読んで、その型に沿って書いてみることが大事だと思います。憧れる人が特殊なスタイルの記事を書く人だとしても、最初からずっとそういう書き方のライターというのはあまりいないのでその人の初期の記事だったり違う媒体で書いているものだったりを読むといいと思います。


銅賞より上がなあ、大変だよなあ。

いまは技術的にかなり完成されている人がバンバン応募してくるようになったので、空手で太刀打ちするのは困難になってきました。

この段階でここまで求められるのはキビシー感じもしますが、オモコロ杯に応募する、オモコロに入りたい、という人のレベルが上がっていってるんでしょうね。オモコロを見る人も増えてるらしいし。


ちょっと前のトレンドだった『努力量』というのも最近見直されてきている気がします。『努力量』の一本槍ではライターになったとき記事がたくさん書けないというのが理由です。これはまったくそのとおり。

それでも、これはオモコロに限った話ではなく、手間と時間がかかっている記事は評価されやすいので『俺にはセンスも技術もない』という人にはこれが有効にして唯一の手段だと思われます。ビスコの記事とかは努力一本ですんでね。ここが最後の砦!


あと、あらためて受賞記事を読んでて思ったのは、みんな記事が鬼なげ~~。正確に言えば『長さ』よりも『読みやすさ』。ここが銅賞とそれより上の最大の差かもしれない。

長くても読ませる工夫があればうれしいんですが、盛り上がりのない場面で写真もなくただ文章が続くのは読者としてしんどい。最近オモコロ周辺でよく見聞きする『文字数は誇るな』という話に通じますね。文字数を減らす努力は必要です。

この様子だとオモコロ杯期間中の審査員は文字を読みすぎてマジで気が狂ってるはずなので、短くまとまってるだけでプラスになると思います。逆張りは大事。これは人生のいかなるタイミングでも使えるTIP。


あとは、オモコロに憧れすぎないというのも大切な心構えです。

オモコロが主催する記事のコンペなんで、オモコロっぽい記事はたくさん来ます。なのでオモコロっぽい記事を書くと単純に埋もれます。

『オモコロっぽい』というニュアンスも、読者と審査員でかなりギャップがあるところです。『くだらなくて笑える』をオモコロらしさと捉えるとオモコロ杯は厳しい戦いになります。

オモコロは広い多様性の許されるメディアなので、本当になんでもありなんです。本当になんでもありだからこそ、どこかで見たことあるようなものはクオリティが高くても評価されづらい傾向にあります。

『記事書きの基礎ができていれば銅はもらえる』という話と矛盾しますが、オモコロ杯においては必ずしも記事書きのルールを守る必要はないと思います。きれいにまとまっている人よりは、型に縛られない個性を表現ができる人の方が好まれます。

ある程度ちゃんと書ける人のほうがスタンダードから逃げられないのかもしれないですね。難しいですね。

これもちょっとひねた話ですが、審査員は『オモコロっぽい』記事があんまり好きではないです。こう表現するとちょっと違うか。

ただ、オモコロに影響を受けすぎている人をあまり高く評価しないです。

違う文化の影響を受けてきた・勉強してきた人が、それを活かして書く記事のほうが新鮮でおもしろがられやすい。じゃあどうしろって考えると難しいな。そんなの一朝一夕で身につくものでもないし。

オモコロ杯取りたかったらオモコロを見るのやめろ! というのは極端ですが、もっといろいろなものを読んだり楽しんだり勉強したりすることが大事なのかなぁ。わっかんね。


なんか総評というよりは応募のコツみたいになってしまった。どうしても俺がオモコロ杯に苦しめられたから応募者目線になってしまう。

ごめんなさい、スケブで申し込んでくれた方。締め切りぎりぎりまでめちゃ時間かかって、しかもあんまりお題に基づいていない。

あとここに書いていることは全て藤原の、オモコロ杯応募者としての私感です。審査員たちとオモコロ杯について話したことはありません。だからこそこうして好き勝手に書けるわけなのですが。なのであまり真に受けないように!


さいごに、

いままでオモコロ杯に応募してうまくいかなかった方へ。

オモコロ杯みたいなコンテストに応募することは、それが賞に選ばれなかったとしてもスキルのレベルアップにつながります。ただ自分の楽しいように書くのとは違って、読み手を意識することで構造や表現の難に気づけます。なので応募したことで最低限、ひとつプラスにはなるんじゃないかと私は思います。

ただ落ちると本当につらい。つらいよな。あきらめるな、とは言えない。

しかしこれだけは覚えておいてほしいのですが、オモコロ杯で優勝すると二度とオモコロ杯に応募しなくてよくなります。これがアマギフ10万円よりずっとありがたい副賞。



そして、今後オモコロ杯に応募しようと考えている方へ。



この門を過ぎんとする者は一切の希みを棄てよ

ダンテ・アリギエーリ 『神曲』




オモコロ杯は呪い



一度足を踏み入れれば 嫉妬と悔恨と羞恥がお前を焼くだろう



勝つことでしか この呪いは祓えない




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