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【34歳無職の後悔】世の中すべて自己責任ではないがチャンスを掴むべき時はある

どうしてこんな状況になってしまったのだろうか。
そう思ってしまうけど、原因は自分にあるのか、はたまた環境にあるのか。
それは全くわからない。

環境のせいの場合もあるし、自己責任ということもあるし、タイミングということもある。

すべてを自分のせいにするのは間違っているけど、必ず転機というかタイミングを掴むべき時を逃している場合もある。
それは人生でターニングポイントというのかもしれない。
それを掴むか逃すかで人生に与える影響というのは本当に大きくなる。

いま振り返ってみるとこのチャンスを掴んでおけば、、ということが多すぎる。
本当にいろいろ逃してしまったなと。

34歳無職が人生で後悔していること

例えばどんな事を逃していたのか?みなさんは反面教師としてこの記事を見てほしい。

新卒カードを無駄にしたこと

自分は真面目系クズだったので、大学はストレートで卒業した。
しかし、就職はしなかった。
何社か適当に受けてそれで落ちたーといって何もしなかった。
そんな事をしているうちに卒業した。
当時は大学に友達もいなかったし、そんな危機感は全くなかったのだ。
卒業後にどうしたかというと、そのまま学生時代のバイトを継続でしていた。
今思えばマジで頭がおかしく、コイツやべーと噂になっていたことだろう。

当時は恐ろしいことにそれがヤバいってマジでわかっていなかった。
大学中退でフリーターになったヤツもいたし、別に危機感はなかった。
むしろ卒業しただけマシやんってなっていた。

学生時代にバンドを組んでいたので、これをやりながらフリーターをやっていこうなんて思っていた。

だけど、3人組で組んでいたバンドは2人ともしばらくして就職してしまった。
なんか自分だけ置いていかれてしまったのだ。
しかも他の2人は大学中退のフリーターだった。
自分だけはむしろマシだと思っていたが、間違っていた。
自分だけ能天気でまわりに置いていかれていたのだ。

そこからバンドの活動はうやむやになった。

それが23歳くらい。

当時自分は実家暮らしではなく一人暮らしだった。
一人暮らしは別に自ら望んだわけではなく、親に追い出された形になる。
バンドのメンバーに大学を中退したヤツがいたと話したが、ソイツも親に追い出されて一人暮らしをしていた。ちなみにソイツとは学生時代から同じ職場。

だから別に一人で暮らしても生きていけることはわかっていたし、むしろ一人暮らしは快適だなーなんて思っていた。

でも、労働がかなりきつかった。
前のバイト先と早朝のバイトを掛け持ちしてなんとか月に15万くらいを稼ぐ生活がはじまった。朝にバイト行って、寝て、昼からまた仕事。これを繰り返す。ちなみに全部スーパー。

23歳だったけど、結構キツかった記憶がある。朝に3時間働いて3000円を稼ぎ、夜に学生時代からのスーパーへ行き、働く。腰が痛くなって悲鳴を上げていたが、夜に一人暮らしの家で中学時代の友達を呼んで飲んでいた。それが楽しかった。ちなみに一人暮らしの家は実家から30分くらいで着く。

そんな生活を続けているのは結構きついなーとか思っていたところに超高時給の仕事を友達がやっていた。なんと1500円。
朝の3時間30分だけしか働かないが、それでも5500円はもらえる。今の朝のバイトと内容が変わらないのに、なんと500円も時給が違う。
時間は6:00〜9:30。別に超早いわけでもない。それを週に5回やるだけで月に12万は稼げる。マジ最高じゃん。

俺もそれをやりたい!バンド仲間で中退して家を追い出された友達も同じような生活を送っていて、相変わらず同じ職場で働いていた。

その友達が1500円の仕事をしていることを聞いて早速自分も部署移動を申し出た。

移動はできるけど、週3だよと言われたが、それでも今の早朝バイトを週5やるよりも稼げる。速攻で承諾して朝の早朝バイトのところは辞めて、今のバイト先を早朝バイトにした。

しばらく掛け持ちで朝の早朝バイトに行って、夕方も出ていたが、次第に人間関係がめんどくさくなって、夕方のバイトを辞めた。

夕方のバイトは学生時代から続けていたから次第にまわりの目線も気になりはじめたのもある。早朝バイトなら開店前に作業が終わるので誰かに会う心配もない。

そうなると夕方にまたバイトをする必要がある。

夕方に週5回4hのレジ専門のバイトをはじめた。ここと朝の3h働く生活をしばらくしていたのだが、前に比べると腰の負担はずいぶん軽減された。多分前は朝に品出し&夕方に品出しだったから腰への負荷がやばかったんだと思う。
今は朝に品出し&レジだったので負荷が減ったのだろう。

これで月15万くらいをなんとか稼いでいたと思う。

そんな生活を続けていると次第にこの週5レジがきつくなり、辞めたくなってきた。
そんな時に時給1500円の早朝バイトから週5の要請があった。
もちろん2つ返事でOKした。これで週5朝に仕事するだけで月に12万稼げるのだ。マジで最高だった。節約すればここだけで生活なんとかなったからマジで気が楽になった。

その時に中学時代の友達が入ってきてお互い気まずかった。お互いコイツ24歳にもなって何やってるんだ?
そんな軽蔑のまなざしをしていたと思う。でも、なんだかんだ仲良くなって仕事終わりに2人でジムに行ったり、ハローワークに行ったり、正直マジで充実していた。

まぁ、ハローワークなんて行っても探すつもりもなくポチポチしていただけだ。

2人でやべーこれからどうなるかなー?とかいいながら、とりあえずジムで鍛えるだろ!とかやっているのもよかったな。

人生でも気楽でマジで楽しかった時期かも。早朝バイトは上司もいないし、接客もないから超快適だった。

次第に少しお小遣いがほしくなり、ドラッグストアでのバイトを週3くらいではじめた。
ここは人がめっちゃ良くて最高だった。その時には既に25歳になっていた。

まわりは学生ばかりだったけど、そんな自分にも優しくしてくれた。でも、自分はどこかでフリーターという劣等感があり、それを隠すために猫被っていたなーって思う。
めっちゃいい人のフリをしていた。

そんなこんなで朝の安定したバイトと夜のドラッグストアの生活で月に15万は稼げたのでいい暮らしを送っていたのだが、どこかに焦りはあったのか、正社員にならなきゃって思いはじめていた。そんな時に母親の友達から正社員の紹介があり、1回やってみるかということで話がまとまり、自分は一人暮らしから実家に帰ることになった。

晴れて実家に帰れる。当時は金がなくて別に家に女の子を呼ぶわけでもなく、何もしていなかったので家賃が無駄だとしか思っていなかった。

今思ったらネットで探して家に女の子呼びまくれよとマジで突っ込みたいのだが、当時は生活に精一杯でそんな余裕も自信もなかったんだと思う。

だからなぜか就職して余裕が出たのに、実家に帰るという意味のわからない事をしていた。

で、就職をしたのだが、この仕事が施工管理というやばい仕事だったのだ。

電気系の施工管理で労働環境は最悪で、初日でマジで辞めようと決意したくらい。

入社したばかりだったので、難しい仕事はなかったけど、とにかく早く辞めたかったのだが、縁故入社がゆえに辞めづらい。

結局半年やって退職したのだが、引き止められたりいろいろたいへんだった。
その間に親と話し合って、学校に行って資格を取れという話になった。

当時26歳だった。
この年齢で学校かーと抵抗があったが、就職する未来が全く見えずにまた変な会社に入ったらどうしようというのと学生という大義名分ができるのも魅力的で承諾した。
またバイトで適当に生きていけて資格も取れるのかーと軽く考えていた。

その専門学校に入学するには理系の単位が必要だったので、それを取得するのに1年かかるとのことでバイトをしなければならないってことで、入社したのが、今の自分の軸を作ったアウトドア業界だ。

このアウトドア業界に入ったことでバイトだったけど、世界が変わった。
こんな趣味の世界があるのかー。そんな感動でいっぱいだった。
同時に業務がマジできつかった。

バイトで入ったのに週5回だったし残業もあり、ほぼ社員みたいな仕事内容だったのだ。
わけのわからない商品の接客と、電話対応、事務処理など、未知すぎてマジで泣きそうだった。これが自分でいう新卒の洗礼だったのかもしれない。
社会常識とか考え方とかはここですべての基礎を学んだ気がする。

2日で辞めたかったのに、商品が魅力的でなぜか辞めなかった。
学校入学までの1年間、このバイトをがんばった。かなり成長した気がした。

で、27歳の4月になり、学校に入学するもバイトを掛け持ちしながら入学することにした。

たまに入るくらいでいいよと。ありがたかった。

そしてここから地獄の学校生活がはじまる。まず授業についていけない。
暗記系がメインかと思ったら計算メインだった。そもそも算数すらまともにできないのに、ついていけるわけがなかった。本当は3年かかる国家資格を2年で取る学校だったので進むスピードも超早かったのだ。まさに急がばまわれだ。

今が27歳で3年だから取得する頃には30歳かー。なんて話だったけど29歳も30歳も変わらないではないか。なんで2年にしたんだろう。結局授業についていけずに夏休み終わりには中退していた。

27歳で中退して時短したバイトだけが残った。そこで学校辞めたのでもっと多く入れるとは言わなかった。元々がんばってがんばって続けていたバイトだったので、ここも実は早く辞めたかったし、楽をしたかったので、学校に行っているフリをして、バイト先に嘘をついて、そのまま時短で1年続けていた。で、学校が忙しくなるからとそのバイトも辞めた。

この時、28歳の夏に自分はニートになった。

半年くらいは貯金を切り崩していたのだけど、親にも小言を言われはじめてバイトをはじめた。プールの監視員とテニスの受付だ。あとはスーパーの派遣もやっていたかな。

それから半年たってついに29歳になっていた。

それでも全部含めても月10万いってなかった思う。すっかり実家水準で超最低限稼げればいいという思考になっていた。

テニスのバイトではまわりが全員女子大生で、そこにいた1人の女の子からめちゃくちゃ嫌われていて、かなりきついバイトだった。あぁ、もうそんな年齢だよな。そんな事を思ったものだ。

そんな時、前回バイトしていた当時の店長から、どこかで学校を辞めたとの噂を聞いたのか、契約社員で雇うよと言われたのだが、自信がなく断った。
今、思えばこの時に契約社員になっていれば、今頃正社員として働いていたのかも。とか思ってしまう。

ただ、テニスのバイトも限界だった自分は結局他のアウトドア系のフルタイムバイトに応募することにしたのだ。

このバイトは最初の半年はかなり楽しかったのだが、次第に人間関係がイヤになった。
そんなところに某ウィルスがやってきて、フルタイムから半分のシフトになり、かなり楽ができた。
半分に減ったにも関わらずお金はフルタイムとほぼ変わらずだった。

ここで社員になりたい思っていたのだが、某ウィルスのせいで社員登用試験がなくなった。

もう不景気になり、店も終わりか、、なんて声もあり、いろいろ不穏な空気だった。

そんな中、副業という言葉がはやりだして、自分もやってみた。アウトドア系の知識をアウトプットすれば、稼げるなんて思ってブログを開設して書き出す。この頃から思考が洗脳されていき、社畜なんてバカらしいと思うようになった。

会社員より個人の時代!ネットで稼げないヤツはホームレスになる!などの煽り文句で、どんどん歪んだ思考になり、フリーランスでいこう!なんて思考になってきてしまった。
完全に拗らせて30歳フリーターで出来上がりである。

しかも、半年やって数千円の成果が少し出たもんだからそこで調子に乗ったのも大きい。
そんな事をしているうちに31歳になっていた。

31歳になっても相変わらず某ウィルスは続いていて、そのバイトの人間関係もイヤになり、時間を減らした。そのかわりに業務委託でIT系の仕事をするようになる。

それもフリーランス活動の一環だといって取り組んでいて、確かに成長する部分は多く、文章力、校正力など、多くのことを学んだ。

だけど、次第にそのバイトもきつくなって、辞めた。

そして、フリーランスでは独立なんて絶対にできない事を悟り、人生目標を失って途方に暮れていた。で、32歳の自分に残ったのは時短バイトのみだった。

しばらく週3くらいで時短バイトをこなしていた。

楽だったので、ストレスも特になく、このままでもいいやーとか思っていた。

でも、33歳の時にアウトドア系のよさげな求人を見つけて応募した。
それが今の職場である。
自分の経験をフルに活かせてマジで楽しく、自由で居心地がよく、ずっとここに居たいなーなんて思っていた。だが、会社経営の雲行きが怪しくなり、自分に人事異動の話が。

やっと天職を見つけたと思った矢先にコレだ。
もう動く気力がない。

ここを離れるなら辞めようと思って強気な態度でいたが、裏目に出て解雇になる。

ちょうど人件費も削減したかったところだったので、ちょうどよかったのだろう。

賭けに負けたのと、自分に甘かったのかもと少し反省した。

そして現在34歳の絶望無職が出来上がったというわけだ。

マジで希望が見えない。

長文失礼しました。昔を振り返りながら書いていたのだが、ここまであっという間だった。

でも、いまの経験があるから覚悟がやっとできているとか、そういう事もある。
その時にこうしていればってキリがないけど、当時の自分はできなかったんだ。

それは仕方がないのだ。

タイミングが合わないってのはそういうこと。

人生って残酷だよな。


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