赤備えの兜飾り

knot 赤備えの兜飾り -端午の節句-
赤備え(あかぞなえ)の兜飾り

ご祝儀袋のお飾りを外して額装出来る
金封です。

ご依頼頂いたご出産祝いのご祝儀袋は
男の子ご出産のお祝い

初節句になられるので

兜飾りを結びました。

基本の結びでありながら縁起の良い結びの構成です。

⌘ 立物(たてもの)は 金のあわじ結び

平安時代以降の兜に取り付けられるようになった兜の装飾物。取り付け位置は様々で、前面に付ける前立(まえだて)、側面に付ける脇立(わきだて)、頂点につける頭立(あたまだて)、後部につける後立(うしろだて)、といったように取り付けられる位置によって名称が異なります。立物が登場して以降、初期には兜と「一体型」の前立が一般的でした。

⌘ 兜鉢(かぶとばち) は 亀結び

兜の主要部分で、頭部を覆う部分。形状によって大きく分けて4つの名称があり、頭の形に沿った頭形(ずなり)兜、筋のようなラインが入った筋兜、桃のようにカーブを描いた桃兜、全体に尖った凹凸のある星兜という4種類があるそう。

⌘ 吹返(ふきかえし)は 松結び

吹き返しは「刀が当たらないように顔を守るため」「甲冑師の細工技術を披露するため」の役割。

⌘ 顎紐の結びは 総角結び

主に甲冑などに使われる結びで人型と入型があり、入型は装飾用に用いられる結び。

使用している紙は沖縄のへちまデザインのクラフトペーパー
黒に近いほどの深緑に金の糸瓜(へちま)が真っ直ぐな蔓に実ったデザイン
#シマノネ
#ゆいまーる

武勇の誉れの象徴として語り継がれた

赤備えにちなんで

お子さまの強く逞しく健やかな成長を祈る

赤兜飾りです。

身を守る刀と共にお飾り頂けます。
(ご祝儀袋に刀は含まれません)
菖蒲の葉は刀に似ていることから

端午の節句に飾られます。

<端午の節句の意味>
端午とは「月のはじまり」を意味する「端」と、「午の日」を意味する「午」が合わさった言葉です。端午とは本来、月のはじめの午の日を表す言葉でした。「午」と「五」の音が同じだったことから5月5日を指すようになったと言われています。
また「節句」とは、季節の折り目を表す言葉で、「節供」とも表現されます。神様に食べ物を供える行事を指すようになりました。日本では5つの節句があり、端午の節句はその一つです。
中国から伝わった端午の節句は、奈良時代では菖蒲(しょうぶ)の薬草を摘んで邪気を払うといった宮廷行事でした。
鎌倉時代の武家政治の影響を受ける中で菖蒲(しょうぶ)が、武士道を尊ぶことを意味する尚武(しょうぶ)へと変遷していきました。その中で兜や甲冑を送る文化が成り立ち、男の子の日という風潮になったと言われています。

<赤備え>
戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種。
甲冑や旗指物などの武具を、赤や朱で整えたものを指す。戦国時代では赤以外にも黒色・黄色等の色で統一された色備えがあったが、当時の赤色は高級品である⌘辰砂で出されており、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。

武田信玄率いる武田軍の赤備えを最初に率いたのは後世に「甲山の猛虎」とも謳われた飯富虎昌で、騎兵のみからなる騎馬部隊として編成された。元々朱色は侍の中でも多くの首を上げた者にのみ大名から賜るものだった。

武田の赤備えが強かったため、「赤備え隊=精鋭部隊または最強部隊」というイメージが諸大名の間で定着したと言われる。その後、真田幸村や徳川精鋭部隊の井伊直政が赤備えを採用した。

⌘ 辰砂(しんしゃ)は硫化水銀からなる鉱物である。別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。

古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられた。

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