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コロナとオレの成長記14

今年は元日から大変な事が起こってる。
石川県能登半島地震。
大きな被害が出てる。1日も早く現地の方が元の生活に戻れる様に自分にできる事をしようと思う。
ふるさと納税を活用した募金が自分には有効的だ。

コロナ禍が終わって、やっとまともに商売を始められる様になった方もいるだろう。
沢山の家やお店が地震と津波に寄って流された。
現地の方の生活を想うと自分がどれだけ恵まれているのかが分かる。

そう思う時、3年間コロナ禍で苦しんでいたけどあんな事は屁でもない。
現地の方と比較してる訳じゃないけど、お店があると言う事だけで新しく何かを始められそうな気がする。
今ある日常は決して当たり前ではない。
能登半島地震を通して、これからの自分の生き方を考えさせられる1年がスタートした。

元旦に、フィットネスジムを作るにあたり図面でお世話になった先輩がご実家に帰って来てると言う事だったので、新年の挨拶と、その時にお世話になった意味合いも込めて3年越しにショウモナイ品物を持ってご実家まで伺いに上がった。

その先輩に会った時にフツフツとフィットネスジムを始めた頃の記憶が蘇って来たので今回はその事について書いてみる。

コロナ禍が始まった当初、すぐに政府からの指示で金融機関から融資が受けられる様になった。
保証人無しのプロパー融資で、普通なら借りれないくらいの融資が受けれた。
設備投資などの融資も比較的簡単に受けれた。

ほとんどの事業者がこの制度に寄ってお金を借りたと思う。
有り難かったけど、あの時これをどうやって返済しようとかまったく考えてなかったし返済なんてとてもじゃないけど無理だと思った。

毎月大きな赤字を垂れ流してたし、スタッフを守る為に、うちも銀行からのこの融資を受けない訳にはいかなかった。
設備投資で融資を受けた資金と上手く組み合わせ様と決心した。

現金商売をしてるくせに、運転資金すら足りず毎月当たり前の様にお金が減っていく。
このままコロナ禍が終わらずに融資を受けたこの資金が先に尽きればゲームオーバーだと色んな人に話をしてた。
その資金は3年も保たないと分かってた。
コロナ禍はいつまで続くか誰にも見えなかった。

だから生き残るには、このお金で事業投資をして、売上の柱を作って、その売り上げで事業を回して返済するしか道はないと思った。
その無茶苦茶な覚悟をしなければならないくらい既存の事業がボロボロになってた。

最近、フィットネスジムがチマタに、雨後のタケノコの様にできてるけど、僕はその流行りが来る前にフィットネス事業に目を向けてた。
ある意味先駆者だ笑

自分が身体を鍛える為に、家の近所のフィットネスジムに通っていた。
客単価は明確に分かってたし、そこのジムスタッフと仲良くなって会員数をコッソリと聞いたりもした。
その掛け算をして自分の通ってるフィットネスジムの売上を算出した。

これなら事業として成り立つなぁ。と以前から思ってた。
フィットネスジムのフランチャイズも色々とあるしネットで調べたけど、どうせやるなら自分の思った通りやりたいのでその選択肢は一瞬で消えた。

フィットネス事業をするにあたり、建物を建ててまでの投資をしては回収できないと考えた。
場所も探してたら南丹市のTSUTAYAがあったトコの物件が空いてた。
そこは100坪の2階の物件でテナントの募集をしてた。

無双心フィット以前の外観



そこに見に行ったらテナント4件が入れる様に間仕切りがしてあった。

無双心フィット施工前


「こないだまではここに一軒入ってたけどコロナに寄って入居してるテナントは今はゼロやねん」とオーナーに言われた。
「もしもここのフロアを全部借りたら家賃は幾らになりますか?」とか立ち話をしながらある程度の情報を聞いた。

広さ的にも良いし南丹市はフィットネスジムもないし上手くいくかもと、とりあえずGoogle先生の情報を元に自分の都合の良い様にソロバン弾いた。

そしたら、オレ様先生からの指示で
「やりなさい。」
と言う事だった。

続く

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