Goose houseとPlay. Goose

なんとなくこの話に触れないのも気持ち悪かったので私が理解していること、私の気持ちを書いていこうと思う。

前々震 2017.10.2

この投稿を見た時は素直に「やったー!」と思った。しかし読み返した時「10カ月ぶりって言うほど長いか?」と思ったのを覚えている。実際1月にシングル「僕らだけの等身大」をリリースしてツアーがはじまり、2月には「HEPTAGON」というアルバムをリリースしている。そもそも「Milk」「Bitter」から「LOVE & LIFE」までも10カ月空いているし、シングルだけで考えると「光るなら」からは13カ月も空いている。

音楽業界に詳しくないので10カ月が長いのか否かについては分からない。私の勘違いかもしれないが、10カ月を長く感じるほどの何かがあったのではと思った。

前震 2017.12.23

この日はHOY。1年に1度のお祭りである。

Goose house of the year(HOY)
年間約60曲配信されたカバー曲の中から、最もカバーが優れていた楽曲をファン投票で決める企画。放送時間はUstream Liveより演奏曲が倍になるため、19:00頃より開始される。「HOY」とは「House」「Of」「Year」のそれぞれ頭文字をとったもので「ホイ」と読む。「ホイ」という読み方は竹渕慶が命名。毎年11月放送分終了後よりFacebookのGoose house公式アカウントに設置される、HOY特設ページより、1週間程度の期間中に1人1曲まで投票ができる。そして12月放送分で投票上位10曲が再演される。その放送中に再度Facebookにて決選投票が行われ、最終的な年間ベスト10が決定し、2012年以降に1位を獲得した曲を歌うメンバーには「HOYバッジ」が贈呈されるようになった。事前投票の時点での上位10曲の順位はメンバーにも知らされておらず、故に放送中の演奏順もランダムとなる。その年または前年に卒業したメンバーがゲスト出演し、ランクインした曲を現メンバーとともに再演する事もあった。(Wikipediaより引用)

通常、生放送の最後に次回の放送日の告知が行われる。しかし、この放送では次の放送日について言及されなかった。最初は盛り上がって告知を忘れただけかと思っていたが、そうでもないようだった。1/17にジョニーさんの18日にマナミさんのソロライブが行われることとなっていたが、Twitter上では「物販で直接質問するのはやめようね」といった投稿が散見され、ハウスメイト(ファンの総称)の間でも何かただならぬ気配が漂っていた。

結局1/18にYoutubeに動画が投稿され、その中でYoutube Liveで放送されること、1/27に次回放送が行われることが発表された。

この時、本当に安心したのを覚えている。月に1度の生放送はPlay.You時代からずっと続いてきたことであり、Gooseの特徴の一つだと思っていたからである。ただ告知動画を見返すと「頑張りすぎない」「穏やかに」という言葉がよく出てきていて、この頃既に話は進んでいたのでは?と感じた。

第一震 2018.4.21

この日は第82回目の放送。その最後に衝撃の発表があった。

「しばらくの間お休みさせていただこうと思っています。」

リーダー(仮)の工藤さんからこの言葉が出た時、心臓が止まるかと思うくらいびっくりした。次の日に関ジャムでることなんてどうでもよくなるくらいの衝撃だった。

確かにこの時期投稿されている動画を見てメンバーに対し「疲れてるのかな」と感じることはあった。だから「ここで無理するよりも長く続けるために必要なんだったら休んでほしい」と思って受け入れた。この時感じたメンバーの疲労感は肉体的なものではなく精神的なものだったのかなと、今だからこそ思う。

第二震 2018.11.26

その一週間前から「あれから64日が経って」という意味深な動画が数日にわたって投稿されていた。このセリフはGoose houseで一番最初のオリジナル曲「Sing」の一部。投稿されているアカウントは、新たな「Play.Goose」というアカウント。セリフを言っている人は日に日に増えていき、最終的にはGoose houseを卒業した竹澤さんや神田さん、木村さんの声も入っていた。しかしその中の画像ににジョニーさんの姿が見つからないことだけが気がかりだった。

そして迎えた当日。

そこにジョニーさんの姿はなかった。

代表して工藤さんから発表されたこと。

「Goose houseから飛び出した」「解散ではない」

ジョニーさんは???じゃあGoose houseはどうなるの???

謎だらけだった。今だったら状況も以前よりは分かり、私も大人になったので分かりやすく表現できない「何らかの理由」があるのだろうと推察できる。でも当時は理解が追い付かなくて、悲しいとか怒りとかではなく「混乱」だった。

そんな中、竹澤さんのこの投稿が救いになった。

ただのファンでしかないから、中で何があったのかは分からない。けれど「彼らの活動を制限する何か」は確実にあっただろう。残念ながら綺麗事だけで回っていく社会に私たちは生きていないので、仕方ないと言ってしまえばそれまでかもしれない。

「Goose houseを飛び出す」には相当な勇気が必要だったと思う。それだけの勇気や覚悟をもって違う形であってもなるべく近い形で活動を続けられるように頑張ってくれたメンバーには本当に感謝している。

放送を重ねるにつれ、ぼんやりとPlay. Gooseについて分かってきたが確信を持てるまでには至らなかった。

余震 2019.4.30

この日のPlay.Gooseの生放送は3/28に行われた Goose tours 「→83.」東京公演の全編ノーカット放送だった。私はライブに参加できていなかったため、この放送で詳しい経緯やメンバーの思いを初めて知った。

私は理解力が乏しいのでこの放送で全てを理解出来たわけではない。けれどPGメンバーが必死になってこの場所を作ってくれたこと、色んなしがらみがあったであろう中で届けてくれたことに本当に感謝してもしきれない。

自由の先へ

私はPlay.Gooseを応援している。そうでなければ今よりもっと大変なことになっていただろうことも想像できるし、メンバーがすごく頑張ってくれたこともわかる。それでも経緯を完全に受け入れられているわけではないし、Goose houseが恋しくなってしまう時もある。現状、花さん千尋さんあたりは頑張って呼べても、ジョニーさん、d-izeさんも含めて集まることは難しそうだ。それでも私はいつかPlay.You House、Goose house、Play.Gooseに関わった全てのメンバーが一堂に会して音楽をしている姿を見たい。ファンのエゴであることは十分承知の上だが、いつか叶う日を信じて。

Play this song 自由の先へ


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