区切りを過ぎて日々
四十九日の法要を終えても日々は過ぎる。リモートワークが日常になってくると仕事と生活の境界が曖昧になる。仕事をしながら家事をして、家事をしながら仕事する。それはもう感染症と付き合っていくスタンダードだろうか。
本当はこの週末も帰省して実家の片付けなどをしようと思っていたのだが、職場の同僚が体調を崩して来週検査をするとのこと、いろいろと仕事のうえで対面しているので、万一を考えて帰省は取りやめた。兄がひとり帰省し、片付けをした。その模様が写真で送られてきた。申し訳なし。致し方なし。
ひと区切り(四十九日)を経て何かが変わっただろうかと改めて思うけれどあまり大きく変わった感じはしない。日常が変わったりオリンピックが延期になったり父が亡くなったりと、令和2年は激動ではある。なのでちょっとしたことはたいしたことはない、という感触がある。区切りは通過点であり、予定としては8月下旬に海洋散骨をする予定で、それはそれでまたひとつ、リアルな体験を伴う区切りを迎えるだろう。
「死んだらゴミだ」みたいなことを言っていた父だったので、少なからず自分にもそういう「死んだらそれまで」みたいな諦念が受け継がれている。遺影を前に問いかけるが、応えてくれるのは自分の勝手な解釈で、遺影が何か言うわけではない。実際に散骨をする時にはどんなことを思うだろう。
父が亡くなってから「もっとちゃんとしよう」と思ったのは事実で、それは今でも継続している。どういうのが「ちゃんとしている」のかは未だよくわからないけど、問題があるならば(結果解決しなくても)解決しようとする姿勢を持つとか、朝早く起きるとか、弱音を吐かないとか、まだまだ不十分極まりないだろうけど、そうしようという気概ではいる。
子どもにとってみれば絶対だった父も、いろいろと間違ったりしただろうし、間違ったら間違ったでそれを糧にして次は間違わないようにしようと努力したりしただろう。弱い姿を見せない父だった。だからこそ病床で弱った姿を見せることは、本人としてはあまり良いことではなかっただろう。その思いをちゃんと想像する。
ただ、病床で起き上がることができなくても、やっぱり父は強かった。痛みに苦悶しながらも耐え、残された家族皆それぞれに言葉を残して息を引き取った、その強さは実感として私の中に残っている。父なりのやり方で人生を全うした。私も私なりのやり方を常に探しながら全うできるように探し続ける。強さとは無言でその姿を見せるということを父は最後に教えてくれた。
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