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父がいなくなって1ヶ月

6月8日19時38分に父が亡くなってから今日7月8日でちょうど1ヶ月が経ちました。その後の1ヶ月は早かったようにも思いますが、今まで体感したことのないような、不思議な時間性を過ごした気がします。それは現実として、感染症と付き合っていかねばならない状況があるからであり、いわゆる以前とは違う日常性が訪れているからに他なりません。

マスクをして出歩くことが日常になりました。数か月前までの週5回の出社は今は週2回で、飲みに出歩くことも無くなりました。会議はオンラインが普通で、久しぶりに出社しても、同僚から「オンラインで会ってるから久しぶりな感じがしないけど久しぶりだよね」とか言われたりします。

そんな状況は父の知る由もない、とても大きな区切り、境界を経た実感があります。だからどう、ということもないですが、それでもまだまだこれからを生きていくことが当然であり、少なからずこのnoteを書くことで、父のことを考え、母のことを考え、残されたモノたちのことを考えています。


日が過ぎ、実際の状況が訪れるからこそ働く想像力もあり、まだまだ先のことはわかりません。とりあえずは7月下旬の連休中に四十九日の法要をする予定で、その後散骨をすることまでは決まっています。具体的な散骨の方法はまだ決まっていませんが、それは近々決めていかなければなりません。

すっかり日常に戻っている気もするのですが、そもそも現在の日常感が薄いため、ずっとふわふわしているのも実感です。それが令和の空気感か。わからないですがわからないままにわからないなりに思考し行動していく。

それは父がいなくなって後に強く思うことです。

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