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慌ただしさ忙しさ

9月8日に父が亡くなって3ヶ月が経った。

慌ただしく過ぎてしまった印象で、その間に何をしたか?なんていうのはすっかり忘れてしまったけど、このnoteを見返したら「ああそうか」と思い出す。

故郷と東京を行ったり来たりして、仕事をしたり家のことをしたり。やるべきことのいくつかは片付いて、まだ残っているやるべきこともあって、もちろん期限が決まっているものもあってやらねばならないけど、以前ほどの慌ただしさは少なくなった気がする。

慌ただしいとは、「心」が「荒れる」状態で、それが少なくなったというのは、つまりは落ち着いたということだろう。「落ち着いたら疲れが出るので気を付けて」と何人かに言われたが、まだそこまで実感はしてないけど、疲れたと言われればそうかもしれない。

翻って、慌ただしさもせわしなさも、「落ち着いて疲れたかも」って感じるのも、全部気のせいと言えばそうだ。別に疲れてるわけではない。今年の暑い夏は思えばエアコンの効いた部屋に籠って仕事をして過ぎた。リモート勤務にもすっかり慣れたが、以前にも増して忙しく過ごした。

忙しいとは、「心」を「亡くす」状態である。自分の気持ちに聞いてみると、あえてそうしようとしていたフシがある。忙しさにかまけて、心をなくす状態に身を置こうと、あえてしようとしていた自分が居ることは否めない。日が過ぎるのが早く感じたのはそのせいもあるだろう。

3ヶ月が過ぎ、父の散骨を終えて、ひと段落ついて、まだやることはあるけど、とりあえずはひと落ち着き。今の状態に耳を澄ませて、疲れたらちょっとは休んで、まだまだやることをやっていかなければならない。

とりあえずサウナに行こう。そうしよう。

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