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戻って戻る

6/17に故郷から東京に戻り、今日6/25に東京から故郷に戻ってきた。約1週間の東京滞在はあっという間でほぼ仕事。ただ思うと、やはり東京での生活の方がいろいろある。仕事で職場に行くのはもちろんのこと、家族との生活、友人知人関係のこと。今まで当たり前のように過ごしていた場所だったのに、今までとは違った日常が訪れていることで、ひとつ別の視点、別のレイヤーで眺めているような心地が訪れる。

1週間ぶりに母に会い、夕飯を一緒に食べた。毎日電話で話をしていたけれど、それ以上に話をした。何を話したか、覚えているし、覚えてもいない。直接「話をする」「話を聞く」ということが大事だと実感した。きっと父と過ごしているころには当然のように「話をする」「話を聞く」ことをしていて、それを母は父の死後しなくなった。ただ聞いてみると、「毎朝おとうさんの前(祭壇)で、ひと泣きしてから朝のことをするよ」と言う。ひと泣きって。

何も変わっていないようでいて、やっぱり変わっている。たった1週間だけれども、やっぱり1週間。母に聞けば、父のことを思う感覚も、時間が経つにつれて変化しているそうだ。もう父はいないけど、でもこれからのことをやっていかなければならない、がんばらなくっちゃ、と言っていて、まったくその通りだと思う。

徐々に父がいない生活に慣れていく。慣れていかなきゃっていうのはわかっている、けど慣れたくない気持ちもある。そんな気持ちの同居を抱えながら、時間が過ぎゆき、時間は決して解決はしてくれないが、良き落としどころに落ちてゆく。四十九日法要とはよく考えられたものだと思う。誰かが死んでしまったことと対話しながら、いつまでもその場所に居続けるわけにもいかなくて、四十九日という区切りをもってして、改めて死者と対峙し、新しい自分の人生に向かうという仕組み、慣習。その最中にいて感心する。

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