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人間の味がしないものは音楽じゃない。

今日、いきなりパッと夕食時に思いだしたことをnoteに書いてみる。

高校のとき音楽理論の先生に、
「作曲家の好きな食べ物とか、
どんな教育を受けたことなどは関心を寄せず、
ただ楽譜の中の内容を真摯に見つめるべき。
無駄なことを覚える方が時間の無駄だよ。」 と言われて、
その時も今もそれは違うと思ってる。

ちょっとした共通点を見つけ想像して、
彼らになりきることで見えてくる景色は断然違う。
ベートーヴェン 弾くのに、
楽譜を穴が開くまでみて弾いたとしても
永遠にベートーヴェンの音色は出せない。
 
例えば、車を運転するのに
教科書でずっと書いてある内容を真摯に見流だけでは、車の運転を正確に再現できないでしょう?

ただ、そこに想像をプラスしてみると、
ドアを開けるところからシミュレーションできる。
きっとその日は雨で、もう少しで夕方で、
道路が滑りやすくなっていて、
渋滞気味で、自分はお腹が空いていて...笑

人間は感情がつきもので、
楽譜は理論でしかない。
それだけでは本来の音楽ではないと私は考えている。
音を並べるだけならだれでもできる。
だからこそ、音楽で人を感じさせることは並大抵じゃない。
そこが、
音楽の「歯痒いけどやっぱり面白いな!」っていう素敵ポイントだとつくづく思う。

どんなところで弾いて、
どんな感情で日々過ごし、

時には激しく怒ったり、
口を大きく開けて笑ったり、
聴力が徐々に弱っていく中、
どんな気持ちで、その音を並べたのか。

力強いイメージも、美しい旋律も出せる
恋多きロマンチストであり、堅物な作曲家。

お酒好き、コーヒー好き。短気。女好き。
でも、一番愛したのは音楽...。

これだけでも、私は弾き方が変わった。

どんな空間で音を発すれば、
彼が出したい音楽になるのか、
彼自身に私が変身することで、
私が思う彼の出来上がり!

スルメみたいに、どんなことでもいいから沢山味わう。
味はそのうち染み渡って、
次は、彼らが私になる。

全てを知って、損はない。
人間味ってそういうこと。

音楽ってそうやってつくっていくってこと。

無駄なことって
私は人生には絶対ないと断言できる。
それも、自分の味を出す大事な味付けだから。
きっと今の自分にはリンクしない、
彼らのそういう部分にヒットする日が来るかもしれないし。
ベッドが近くにあるのにもかかわらず、
寒い床に座り、凍えながら書いているのも、
きっと無駄ではない。はず。

(今日はコーヒー豆を60粒数えてみました。)




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オチが分かりづらかったらごめんなさい。
ベートーヴェンは、コーヒーを入れる際、
必ずコーヒー豆を60粒数えて入れるほど、
几帳面な性格でした。その性格は、確かに楽譜を見ると分かる...笑

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