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学閥?

こんにちは。子が音楽の修行中です。

だいぶ前に、音楽関係は学閥が強い世界だというような記述を見て以来、その言葉が心の澱のようになっていて時々浮上してくる。
そうなのだろうか?
音大出身者とそうではない方とのことなのか、音大ごとに何かあるのか、ただ単に閉鎖的な世界だと感じたのか、書いた方がどういう意味で使い、どういう時に学閥を感じたのかはわからない。

❁門下というか流派というか、同じ先生についていたら演奏が似た傾向になる可能性もあるが、学閥と言えば私は同じ大学出身者の横のつながりで固めて情報共有などもしているイメージだ。
そういうものは音楽の世界にあるのだろうか。


素人母の感想(演奏を続けていく場合について)
一昔前、自分が教えていない他の音大の講習に参加してはダメ、とおっしゃる先生がおられた話は聞いている。優秀な生徒を他の大学(や先生)に取られたくないのかもしれない。しかし、その先生のおられる大学に合格できるかどうか不安があれば、生徒の方は色々な選択肢を用意しておきたいのでこっそり講習に行くという話も聞いたことがある。
その時は、ナンダソリャ、閉鎖的だなと思った。

でも、その話を聞いた時点でも、どの先生のレッスンを受けてきてもOKとおっしゃる先生はいらしたし、実際にご自身の教える大学に合格するかどうかは五分五分と感じたのか、〇〇音大の講習も行ってみたらとおっしゃった先生もおられるという話も聞こえてきたので、妙なこだわりに困った学生やオープンな先生の元で育った若い世代は大学が同じとか違うということなどにこだわっていないのではないか。

音大を卒業後地元に戻り、その地方の関係者で演奏会を開催することはある。子の出身大学にも地方支部があるらしい。そういうものは同じ大学の出身者しか出演できないが、そんなことで学閥が、とは普通思わない。

確かに学生の間は同じ大学の仲間とのほうが組みやすい。
他大の方とは、コンクールやセミナー、そして何かの演奏会で一緒になるか、同じ門下というくらいしか知り合えない。
同じ大学ならばどんな演奏をするのかお互いにわかるし物理的に合わせもしやすいのでやりやすい。
授業の一環で室内楽をする機会もあるし、そのまま気心の知れている仲間達と演奏活動を続けていく場合もあるだろう。

大学が出会いの場だということは確かだ。
そこで知り合った中で十分に満足なら新たにどなたかを誘う必要もないし、同じ大学の文化を共有していて、そこに至るまでの道のりも似たり寄ったりだろうから語らなくても通じ合うものは多いだろうと思う。そういうすでに知り合っている者たちを外から眺めると学閥があると感じるのかもしれない。

しかしながら大学を卒業後、アンサンブルをするなど普通の音楽活動で、もしくはコンサートに客演をしてもらうとして、意識して同じ大学出身にこだわって固めるのって、そんなに多いことなのだろうか。

全然別の大学でもセミナーで意気投合してその後一緒に演奏会を開くということもあることだから、卒業した後も新たな出会いの場がある方はどんどん広がっていきそうだ。

ただ、一緒にやるのならば、音楽の方向性が同じ方、同じくらい力量がある方とのほうがすぐに仕上がるし、あわよくば格上の方(勉強になる)とやりたいのではないか。また、もし演奏の仕事を紹介するとしたら、必ず高いクオリティで出来るとわかっている方を紹介しないと自分の信用に関わる。生徒を紹介する場合も同じだろう。
同じ大学ならばどのくらいのレベルが担保されているかわかるので安心感はある。

大学名より実力。共演して心地良いとか、この方となら色々な発見があり弾きながらお互いに反応しあって遠くまで行けると感じたら何度でも共演したくなるだろう。実際にそういう方は引っ張りだこだ。
逆に、何かのご縁でご一緒しても面白さを感じなければ「また一緒にやりましょう」とはならないのではないか。それは大学が同じでも言えること。お互い様でもある。


結局実力をつけるしかない
つまるところ是非一緒にやりたいと思われるくらい魅力的な演奏が出来れば、またこういう曲はあの人が得意だからと周知され、何かの折りに声がかかるようになれば学閥云々と考えなくても済むのかも…?という結論に至る。

演奏を聴いて自分から誘うにしても、審美眼を持っていれば出身大学を気にする必要もないだろう。

と、言うだけならばカンタンなのだけれど、その域になるまでがすごく大変なのだろうと思う。
自分を知ってもらう努力も必要だ。

日々精進…






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