たかが10年、されど10年

10年あれば人は変わる。

私の大好きなラジオスクールオブロックの二代目校長先生(パーソナリティ)となった、とーやま校長がこのラジオにやってきたのが、10年前、
10年前といえば、私は新社会人だったみたい。

彼の第一声、「校長のとーやまです!」威勢がよくも
緊張感に溢れていた声を今でも覚えている。

最初から信頼していたわけではないが
とーやま校長の真っ直ぐ生徒(リスナー)と向き合う姿がラジオからもみえるように、よくわかった。

それからはやっぱり
スクールオブロックはスクールオブロックだ!
と、思った。

全身に重い障がいがある私は

できない事だらけで
また、そこまでの障がいの重さの人も周りには
いないように見えた。
障がい者が通う施設だけど、
そんな印象を受けた。

人からバカにされる事もしばしばだった。

というか、あれはいじめだったと
数年後にはえらい人が認めたくらいのことが起きた。
それが、6年も続いて。
もう、わたしの世界は真っ暗だった。

それでも
それでも
ラジオはあった。
私は精神的に追い込まれると食欲がなくなる。

ガリガリに痩せて
ついにドクターから、
「これ以上痩せたら危ないよ」と言われた。

そんなこともある。

もう、死んでしまいたいと、
今でも思うことは多々ある。

けど、

そんな時もラジオはあって
なんでかわからないけど
今日こそ ホントに生きるの最後にしようと思う日。

そんな時、なぜか ほんの少しだけ頑張ってみよう
明日もまた来週も ラジオ聴こうって思わせてくれたとーやま校長。何度も何度もこんな日があった。

それでも10年頑張ってて、今に至る

職場もいろいろありながらも
今は少しだけ生きやすくなった。
たかが10年 されど10年。

そして、その10年の間に
私は一人でどこへでもいけるようになった。
例えば 日比谷の野音や
新木場スタジオコーストとか。
世界は広い。

とーやま校長とも
何度か
いや何度も
会うことができたのは、
アクティブな性格になったからだと思う。

ラジオは
からだが不自由な私でも
自由でいられるツールだし、
スクールオブロックというのは
ホント、温かい学校だなぁと思います。

私の大変な10年間を支えてくれた一人が
とーやま校長でよかった。
とーやま校長が10年間あの学校にいてくれてよかった。

大変なこともたくさんあったと思うけど
本当に10年間校長でいてくれてありがとうございました。

またどこかで会えたら
一緒にスタバ行きたいです!
ブルボンのお菓子も食べますかー!

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします!